apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

既にM2

 気がつけば今年に入って始めてのブログである。いつの間にか更新頻度は、FacebookTwitter→LinkedIn→はてなとなっている。書くことがないのではなく、書く内容がよりリアルタイムになりつつある。もっと言うと、2次情報は消費されるために発信されるため、即時的消費が成されないと直ぐにフローしてしまう。拡散されるためにあり、いかにキュレーションされるかを念頭にしているのが最近のWebメディアの傾向だろう。ちなみにそんな話はこの記事に何の関係もないことでもある。つまり何の記事も引用しない。
 先月の2月7日で35歳になった。いわゆるM2セグメントである。M1向けのターゲティング広告に接触する機会も激減している。
 ここ最近の変化と言えば、

  1. 平日はビールばかり飲んでいる。
  2. 週末はワインを空けます。
  3. ビールに飽きると日本酒です。
  4. 幼なじみが遊びに来たときは、焼酎。
  5. 甘いお酒が飲めなくなりました。
  6. 去年の夏に4kg痩せましたが、既に戻っている件。

 と言うわけで、今年から人間ドックデビューなのだ初年度から色々とひっかかりそうなのだ。丁度同時期に、ジュニアが小学校デビューを果たす。ランドセルが高くてビックリしたが、金額なんて所詮は親のエゴなんだとも思う。先日は卒園式だったが、その内に写真をアップする(はず)。
 そんな感じで、今更ですが、今年も宜しくお願いします。あと、その内、「株式会社はてなタイアップ」デビューもします。

家を買う。

 最近、流石に忙しくなった(と感じる)。ほとんど終電である。自分の時間のコスト感覚がおかしくなることがある。一定しているのはモチベーションだけで、決して上がることがないのが唯一の救いでもある。一言でいうとYahoo!ニュースとか全く見ている時間がありません、という日々を送っている。でもはてブだけはチェックしてるけれども(はてなの人、最近連絡がないですね…)。
 何かしらの指標が欲しくなったので、家を買うことに決めた。6月23日にさくっと家を見始めて、7月21日には契約していたからまぁまぁのスピードだろうか。結局一番最初に気になっていた物件に決めた。よく分からないけれど、それなりに?有名なハウスメーカーらしいが、住設系は全くわからん。住友林業の良さって何だろうか。住宅ローンとか通るのか?と半信半疑だったが、申請した銀行全てに通った。大体の理由が「その企業なら知っているので」というもので、初めて今の会社の存在価値?を知った。何よりそれなりの金額の融資にさくっと通るなんて、5年前ならあり得なかったことではある。良いのか悪いのかわからないけれど、随分とビジネスに浸食されているのである。要するに結局私的生活スペースも、社会的関係性に影響を受けるという一番わかりやすい現象かと。平たく言うと、個人では支払い能力の有無は判断できないけれど、所属するコミュニティがそれを担保しますよ、という。
 と言うことでお盆はお引越です。車も何台かは停められるし、屋上とかもあるけれど、何より書庫的なものを作れるので、それが一番の幸せです。遠回りしっぱなしだけれども、腰を落ち着かせられるホームがやっとできた。嫁も順調に卒業できそうなので、ちゃっちゃとバトンタッチしたいのである。お金稼ぐのに飽き始めた、というのが本音だけれども。
 全然関係ないけれど、日経のお偉いさんに会ったとき時に「日経のアプリ、学割ないの、何で?」って質問したら、「独禁法に引っかかるから」って返答は意外だった。市場原理って何だろうか。

また一つ年を重ねた

 白々しく年をとっていく。34歳の自分が、実はにわかに信じられない。少し前まで14歳だったのに。気がついたら24歳になっていて、多分次に気がついたら44歳というゾロ目になっているのだろう。「この世の中は基本的に平等ではないですが、案外と平等なものがあります。時間です。」と言っていた人がいたが、嘘だろう、と思う。その時間もまた人が決めたものだ。生物の時間はサイズによって異なる。ゾウとネズミの話なんかしなくたって、時間という近代的な制約に縛られるつもりはない。僕の時間は僕が決める。
 エトルリアの映像をNHKで見た。訪れ、写真に撮り、メモを取った壁画ばかりだった。壁画の変遷に対するコメントも数年前と変わっていなかった。一見すると研究は進んでいない。そんなものだ。誰かが少しずつ積み上げて、誰かがリレーする。気がつけば研究は進んでいる。企業組織に入って、経営戦略とかやってわかったことはそういうことだ。「誰でも引き継げる。誰もが同じ様にできる」そうしないと経営は持続しない。必要なのは「何を」引き継げる様に企画するのか、である。天才が何人も続けば良いが、誰もがそうあるわけではないのだ。アカデミアとビジネス社会と一般社会の差は、アカデミア>>>>>>ビジネス>一般、くらいに遠い気がする。否、本当は並列でもあり同列なのだが、言葉が違い過ぎるのである。言ってみれば、アカデミアは企画し、ビジネス社会は持続させようとする。企画が天才的でも、ビジネス社会はマネタイズできなければ持続不可能になり、一般社会には伝播しない。企画が100年に一度の発明であっても、結局一般社会が追いつくのに100年かかるのである。※強引なモデルではあるが…。
 ここ2年くらいそういうことばかり目の当たりにし、考えている。東日本大震災以降、行政とやりとりしていても様々な齟齬を感じるのだが(今更ではなく、以前からだが)、何故齟齬を感じるのかが具体的になりつつある昨今ではある。要するに「誰に」行うのか。「誰に」研究するのか。「誰に」展開するのか。そういった事が中途半端なんだと。政治や学閥で、ポストが消える様な専門分野って何だろうな、と。ましてや一研究を引き継げない、というのは、それこそ国家的な問題であり属人的この上ないと思うのである。ビジネス社会的視点でみると、それって全く脆弱な組織なんだよ、と。