apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

旅行の週末


毎年恒例花火。

上白岩遺跡の配石遺構。

日の出前。

日の出。

広い世界を見るのだ。

旅行を満喫。

チョコアイス美味しい。

蓮着寺にて。

第2四半期の週末


空飛ぶペンギン

あの鐘を鳴らすのは。

やっぱりさぁ、海来たらかき氷だよね。

タンポポをみたら吹き飛ばす。

もう高齢者。

恒例秩父

紙の上に、紙粘土。

何回目だ七五三。

水の中で。

2014のほぼ半年


長女が卒園しますた

長女が小学校に入学しますた。

長男が小学校1年で描いた四次元ドラえもん

絶叫マシンは大好物。

水の上で四つん這い。

そして宇宙(そら)へ。

本当はハンバーガーよりポテトが好きです。

気を抜くと寝ちゃいます。

さて、僕たちの未来は。

個からユニットへ

 新年度早々、ちびジュニア(長女)が熱を出す。小学校への入学は来週に迫り、学童トライアル期間でもある。生憎と奥さんも入社3日目で思いっきり研修中。僕もタスクと打ち合わせを抱え身動きが取れない。結果的にご近所さんが迎えに行ってくれて、ジュニア(長男)と共に帰宅することができた。結果的には夫婦揃って仕事場に拘束となり、子どもの元に駆けつけられない事態である。
久しぶりに同級生と会って言葉に出来ない感情を抱く
 独身と所帯持ち(子有り)の差異は何だろうか。その昔、僕も子どもを持つことによって個人の自由が制限されると勘違いしていた。いや、現実的には個人の時間は制限されることは確かである。
 しかしイタリアで生活する中でその考え方が根本から変わった。僕が学ぼうとしていた社会科学は、人間に関することである。何より歴史は、人が人を生んで紡いだ記憶である。果たして子どもを育てずにその現象を感じることはできるのだろうか、という疑問が端的に浮かんだのである。
 結論から言えば子を持ったのは自分のためでもある。自分の思考を拡張してくれる。何よりイタリアでは個で行動するよりも、ファミリーというユニットで行動する方が物理的な行動範囲を拡げてくれた(大陸の方々は家族、それも大家族で移民するケースが多く見られるけれど、リスクヘッジと個の自由性の担保があるのでは?と深読みしてしまう)。
 『彼女に超進化を強いる社会環境がおぞましいく思える』は逆転している。望んだ結果、環境が変化したのだ。そういったことを事前に想像できたか、想定していたかは別として、少なくともコミュニケーションをせずに子どもは育たないし、旦那さんが自然に食器を洗ってはくれない。それは結婚をしたからでも、子どもができたからでもなく、その前提を双方が認識し、コミュニケーションの結果、家庭に他者を呼んでも運営ができる仕組みを構築した結果である。
 誰もが結婚して子どもを持つとそうなるわけではない、というのが上記の『社会環境』の節の反証となる。
 同期の年下が4月末で退社する。結婚して3年程度経っているが『子どもを持つとやりたいことができない気がする』とこぼした彼に、「子どもがいてもやりたいことができないのは、君がまだその地平に立ててないって事だ」と我が身を振り返る言葉を贈った。何かの所為にしてできていない、という事実と、それでもできている人の差は、何かを成し遂げた後の結果を大きく変えると思っている。

新たな旅路を

 1982年に始まった笑っていいともが32年の幕を閉じた。32年間という月日を身近に置き換える。奥さんが実は同い年である。いいともと歴史は違うが在籍5年間の専門学校を卒業し、この春看護師と保健師の国家資格に合格した。
 結婚し、3人の子供を育てながら通学し、実習に通い、同時期に行われる国家試験に同時に合格した。そして4月1日からは看護師として、公務として職に就く。結婚さえも見えていなかったときに、「いつかは看護師」の夢を叶えたのである。
 学校に通いたい、と聞いた時に僕は大学に行くべきだ、と伝えた。専修学校はクラス単位で動き、就職率を向上させるために、結果ボトムレベルに合わせないとならず、きっとストレスになると考えていたからだ。僕も専門学校に通っていた事があったが、それぞれのモチベーションがバラバラにも関わらず授業の進行は出席単位に依存していた嫌な記憶があったからだ。大学であれば、特に専門課程であればモチベーションがある程度担保される、と思っていた。
 案の定、通学している数年で幾度か人間関係の問題にぶつかっていたかと思う。クラスメイトや、運営・体制側との摩擦に、資格勉強以外の時間を割かれていた。慣れない学校生活に、試験勉強以上にストレスを感じていたはずである。僕も月日を追うごとに会社に拘束される時間が増え、休みもままならない日々が続いた。子ども達は保育園から小学校に上がり、環境への適応を余儀なくされていた。以前の様に手広く人と会う事が制限されたが、それでもネットというインフラがその関係性を支えてくれている。
 結果的に、僕の周り道が成就した。また一つ足場が固まった。それを成し遂げたのは奥さんの執念深さがあったからこそである。もちろんこの数年、漫然と仕事をしていたわけではない。社会科学が一般企業でも役立つことをある程度照明することができた。
 さてまた新たな旅路、まずは5年を進もうと思う。僕も、僕の家族も、そして奥さんも。合格発表を聞いた時、まるで自分の夢が叶ったかの様な錯覚だった。この数年の忍耐から解放される様な、目の前にまた新たな希望が現れたような、身が軽くなる思いがしたのである。
 合格、そして就職おめでとう。次は僕の番なのである。

Good bye 2013, Hellow 2014, and New Life.


餌付け3兄弟。

魚足湯。

意外と崖っぷち。

草原の末っ子。

自転車に乗りましょう。

シズクちゃんを意識します。

見つめているのは跳び箱。

飛びます。

トラの様に。

母親の運転におびえる末っ子。

姉妹。

虹がかかったよ。

一緒に乗ったら目が回った。

いつか恐竜に乗りたい。

ピザーラに就職しました。

若干、就職には迷ってます。

ジャーナリズムって大変。

この後デッドボール。

3人を今年も宜しくお願いいたします。

HANABI、そしてHere I am

 会社に退職願いを出した。6月のことだった。9月1日からは、誰もが知る会社で、ポジションも約束され、経営企画の仕事が決まっていた。
 7月に入ったある日、僕の奥さんが幼なじみの奥さんにメールをした。僕らは毎年、夏休みになると生まれ育った場所で、地元恒例の花火大会に参加していた。今年の8月15日のスケジュールは?そんな内容だったかと思う。帰って来たのはメールではなく、奥さんからの電話だった。「急な事で連絡できずにごめんなさい…」震えた声を聞いた時に、次に続く言葉があまりにもシチュエーション通りで、電話を持ったまま何も言えなかった。
 「死んじゃった」と、幼なじみの奥さんは振り絞る声で僕に伝えた。突然の事だったという。体調に異変を訴え、そのまま。残されたのは、奥さんと2人の子供。長女は来年の4月、小学校に上がる。30半ばで、家族に恵まれ、これから、という時である。仕事での過労かとも思い、後々に聞いた所、全くそういうことはなかったらしい。有名大学を出て、世界でも有数の企業に就職し、その後地域に根付いた優良企業に転職していたが、ほぼ毎月表彰される成績で、かなり優遇されていたという。
 僕らは子供の頃から、一緒に過ごしていた。母親の言葉を思い返すと、「あなた達はお腹の中にいた頃から」のつきあいらしい。一緒に学び、一緒に遊び、食を共にし、風呂を共にし、そして親よりも長い時間を過ごした。思春期から彼が結婚するまで、様々な事があったが、僕らは子供を持ちながら当時と同じ様にゲームをし、食を共にし、酒を飲むようになっていた。
 何を悲しむべきか、どう表現すれば良いのか、しっくり来なかった。彼に会えないことを?彼と遊べないことを?いつか考古学で発見をするから、と約束したことを?一期一会だと思っている。例えそれが親しき人であっても。それが理解できているから、「そうか、君はもういないんだな」という感慨しか、その時は浮かばなかったのである。
 49日を迎える前に、彼の自宅に、もう1人の幼なじみと訪ねた。2人の子供は少し寂しそうだったが、2人を抱きかかえると、子供持ち前の元気をしっかりと持っていた。幼なじみの奥さんも、「全くこんな大事な時に、ね」と前を向き、「とにかく子育てしないと」と現実に向き合っていた。
 その数日後の8月15日、僕ともう1人の幼なじみは、地元の花火大会にいた。子供の頃から、自転車で見に来ていた花火。居るはずの人間が居なかった。

笑っていても、泣いて過ごしても、平等に時は流れる
未来が僕らを読んでる
その声は今 君にも聞こえていますか?

さよならが迎えに来ることを
最初からわかっていたとしたって
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
何度でも君に逢いたい

HANABI - Mr.Children

 その帰り道、iPodから流れた曲を聴いて、何を悲しむべきかやっとわかった気がした。僕は「共有体験」を喪失したのだ。結果、言葉を失ったに等しい。「あの花火大会」と発話した時に、(共有体験をしていた)幼なじみに伝わっていた言葉は、もう誰にも伝わらない。 「一緒に学び、一緒に遊び、食を共にし、風呂を共にし、そして親よりも長い時間を過ごした」、事実を証明する客観を失ったのである。大きな損失なんだと、やっとわかったのだ。
 人が死ぬ。人が居なくなる。文脈が喪失する。言葉が失われる。自分の欠片を失う。今まで自分を構成していた客観を失う。僕と一緒に体験し、思い出を分かつ人間を失うと言うことは、1人の自分を失うことなのだ。過去を美化しようとするノスタルジアもあるのかもしれない。ただ、彼と僕との間で交わされていた言葉は、その本来的な意図を今後持つことはないのだろうと思う。
 9月に入り、僕は転職せず、元の会社にいた。新たな組織を立ち上げ、会社が抱える課題に取り組むことになっていた。会社に残った理由はいくつかある。待遇はもちろん、転職するはずだった企業の方が良かったが、人の良さは今の会社も負けていないと思えたのだ。転職先が決まるまで、何社か面談をし、その内数社の話がトントンと進んだ。それぞれ抱える課題は類似しており、また課題解決策も、聞いた限りにおいて、今の会社で抱えている課題と近しいものだった。それはつまり合成の誤謬に集約される内容であったが、調停者が不足しているために、物事が進まないのである。

消せないくらい深く残る傷 それさえ歌い繋ぐ事出来る
here I am 昨日焼き尽くすくらい here I am 希望焚き進むlife
響け決意表明のverse 起死回生手延ばす明日


鮮烈な意思で存在証明 振り絞る声 焼け付く胸もそのままに
全身揺さぶり感情表現 高まる方へ この歌が君にも聴こえるように

Here I Am - DA

 幼なじみが抜けた穴はそのままに、僕らは前を向く。今の生活のために、そして未来の選択肢のために。幼なじみとの本来的な約束を果たすにはまだまだ遠い道のりだが、軌道修正をしながら歩んでいる。幼なじみとは、偶然にもお墓も隣同士。死後の世界があるのであれば、その時までに約束を果たしたいものである。

今まで、ありがとう。またな。