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最近は写真日記。

ペルージャの現状(1)

 イタリア、ウンブリア州ペルージャ。日本人にとっては中田英寿セリエAに初めて入団したチームとしてペルージャは有名だろうか。僕が初めてペルージャに来たのは2002年9月29日のことだった。それから2003年の4月までペルージャ外国人大学にてイタリア語を学び一時日本に帰国。2003年の8月末にはまたペルージャに戻り今日に至る。今はペルージャ大学にて考古学を専攻。ちなみに日本では既に国史学考古学専攻で大学を卒業している。
 リラ時代にはイタリアに滞在していないのでわからないが、2002〜2003年次よりも明らかに物価が上昇している。2003年の米国のイラク侵攻以来ユーロシフトが進み、今ではイタリア人でさえ生活が苦しくなっている。特にペルージャは外国人大学(イタリア人を含め、特に外国人のためのイタリア語学に特化された国立大学)があるためにEU内外からの留学生が多い。そのため在外国人向けの商売(賃貸、通信、パブ、クラブなど)が発達してはいるものの、ペルージャ市民に対しての職の割合は低いように思われる。
 フィールドワークをしてデータにしたわけでは無いが、ペルージャ市街ではオーナーがペルージャ人(イタリア語でペルジーノと呼ばれる)で、実際に働いているのは外国人の場合が多い。お金を落としていくのも外人であり、結局一部のペルジーノのオーナーと周期的に入れ替わる外国人の間だけで経済が成立してしまう。もちろん外国人を雇う場合はイタリア人よりも低賃金で雇う。職に溢れたイタリア人はどうするか。日本であれば、仕事のある場所に行くのが妥当だろうが、ここではそれはあまりメジャーではない。
 一般的なのは学生を続けることだろうか。大学に7、8年いることは珍しいことではない。逆に規定通りに大学を卒業するほうが稀で、そのほとんどが30に成っても、40に成っても親元を離れられない学生が多い。親はもちろん今までの蓄えと、今ある職を継続して家族を養っている。平均的な月収が900〜1000ユーロだと言うから、現実的に生活して行くのは難しい。どう難しいかは次回に。