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最近は写真日記。

Lost in translation:ロスト・イン・トランスレーション

 この映画を観たのは2004年1月14日だった。ラストサムライを観たのは4日後の18日。ペルージャでは2003年の12月25日から、lost in translationが公開され、ラストサムライが公開されるころにはすでに次の作品に変わっていた。ラストサムライはL'ultimo Samuraiとイタリア語のタイトルに書き換えられたが、Lost in translationは原題のままだった。ビル・マーレイのポスターを覚えている。手にしているのはもちろんサントリーの響き(のはず)。
 日本人のゲスト、また日本語の占める割合が高い。外国人が仕事のために日本に来ると言う視点だから当たり前だが、ここまで日本語が多用されているときっと外人は意味がわからないだろう。米国映画らしくない。ちなみにイタリア(ペルージャだけかもしれないが)では、映画は全てイタリア語の吹き替えになる。マトリックスだろうがLORだろうが、ラストサムライだろうが全てイタリア語。オリジナル言語で公開されることはまずないし、字幕を読みながら映画を観る習慣なんてないそうだ。そういった感覚はどうも理解し兼ねる。
 例外にもLost in translationの場合、日本語のところは全て日本語だった。しかも字幕無し。イタリア人にはまるで理解できなかっただろうが、ビル・マーレイの視点に立てるので演出としては面白いかもしれない。ラストサムライでは字幕が出ていたし、渡辺謙の吹き替えはイタリアにいる日本人の役者が行った。要するにラストサムライに出てくる日本人の台詞も何もかも固定されたものでしかないが、Lost in translationの場合、マシュー南のように日本人任せのシーンが多数あるということだ。
 この映画を観て、スカーレット・ヨハンソンという女優を知った。最初のシーンから僕はもう目が釘付けだったが、その理由は映画を観てもらえればわかるだろう。ソフィア・コッポラが彼女を起用してくれて良かった。何気なく北原哲夫とかファッション業界の人間が出ているが、何故彼らなのか理由がわからない。コネか。ドメスティックブランド推奨なのか。
 Lost in translationを観た後にラストサムライを観たので、ラストサムライに対しての僕の感想は酷いものだった。日本では二つの作品を同時に公開しなかったが、バイヤーのセンスか、それとも意図的に時期をずらしたのかはわからない。バックアップの整ったラストサムライで様子を見、アカデミー賞まで話題を引っ張る。結果を観てLost in translationの公開、にしてはやや公開時期が遅過ぎる気もする。
 「東方からの風」とアジア映画が数多く放映され、イタリアでもその人気は高まっている。ラストサムライを観たイタリア人に質問されても、歴史を知らない日本人。Lost in translationに代表される日本人象。イタリア映画館で公開される純日本映画はKITANOだけ。讚えられる日本人映画監督は、小津安二郎黒沢明。どちらももう生きちゃいない。グローバルスタンダードってそういうことなのか?