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最近は写真日記。

大学生の勉強

 日本では勉強をしている大学生は少ない。本気で学んでいる学生は院に進むが、今では修士でさえ一般化していて、博士課程に進んで初めて本格的に研究をしていると見なされるだろうか。イタリア人はどうか。彼らは良く勉強する。授業中に居眠りや、漫画を読んでいる人間もいないし、ほとんどの学生が真剣にノートを取っている。
 しかも先生方は日本と違って、板書やプリントを配ったりしないので、授業中に先生が説明していることをまるまる書き写すか、自分なりに要約して書き写すか、とにかく授業中は休んでいる暇はない。1コマ、2時間だが、先生によっては休憩がなく、2時間ぶっ通しでしゃべり続ける。チョークを握ることも、教科書を棒読みすることもなく、ひたすらしゃべり続ける。学生はそれをひたすらノートに書き写していく。
 「大学のシステム2」でも書いたが、授業は出席重視ではない。これは僕の学部だけかもしれないが、出席で落とされたという学生を聞いたことがない。テストさえ受かれば良いのだが、真面目な生徒はしっかりと授業に出て、授業を聞く。日本は、出席重視だが、授業を聞いてる生徒は本の一握りだ。出席は取りませんなんていう授業の方が人気があるのは、授業の中身にやはり自信があるからだろう。僕が日本の大学生だったころは、出席重視の先生とは絶対に馬が合わなかった気がする。
 授業中だけではなく、家でも彼らは良く勉強をする。外で会っても、あの授業はどうだとか、テストはどうだとか、そういう話しが多い。日本人の何倍も勉強をするが、僕からすれば要領が悪い。テスト前の勉強方法を聞いても、とにかく教科書を読んで読んで、丸暗記。口頭試験なので、覚えた事を言えればそれで良い。つまり後々、応用が効かない。自分のものになっていない。勉強時間は本当に長いのに、少しでも応用した問題を出すと考えようとせずに、わからないと言う。
 これは日本人でもそうかもしれない。受験勉強で優れた成績を残す子は教科書通りの答えを出すが、想像力に欠ける。もちろん例外はあるが、想像力に関して言えば受験勉強が苦手な子の方があるような気がする。足りない知識を補うための想像力。もちろん知識があれば想像力は増すだろうが、常識に捕われた答えに始終するようでは面白くない。そういったバランスが何よりも大切だろうが、イタリアでは良いところまでいきながら、完成しない。
 口頭試験は良い。良いが、教授側も教科書通りの質問をしたり、またテストに落ちても何度でも受けられるために甘えが出る。日本のように年に1度、落としたら再履修してもう1年というシステムにすればイタリアの大学の質も上がるだろうが、それこそ卒業できる学生が居なくなってしまうような気もする。少なくともそうなったら僕が卒業できる可能性が無くなるので、やはり考えものだ。