apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

No Music,No Life.

 SLACK77 >> DAIJIMAN http://daijiman.slack77.net/は僕の高校の同級生のブログであるが、高校当時、彼とはいつも音楽の話しをしていた。主に洋楽を聞いていたのは中学の頃で、毎週金曜日はBeat UKとWOWOWの洋楽プロモをいつも観ていた。幼なじみがラジオが好きだったこともあり、聞きたいCDが無い時はラジオを聞いていた。時々その幼なじみが投稿したり、リスナーお電話コーナーに登場するので面白かった。
 中学の同級生のほとんどがオリコンチャートPOPしか聞いていなかったので、洋楽の話しはあまりできなかった。高校に入学して、どういった経緯で、まるで違うクラスの彼DAIJIMANと音楽の話しをし始めたのか覚えていない。ただ顔を会わす度に、この音楽がどうとか、あの音楽がどうとかという話しばかりしていた気がする。当時彼はクラブミュージックばかり聞いていて、逆に僕はハードロックかレゲエばかりで、HIPHOPはまるで聞いていなかった。
 オーストラリアに留学してからはMTVばかり観るようになって、その反動で僕は洋楽離れが進み、ロックのギター音を不快に感じるようになっていた。帰国する頃には彼は既に高校を卒業していて、僕が高校を卒業した後、1度だけ偶然地下鉄の中で会ったきりだった。それ以来連絡を取ることも無く、現在に至ったわけだが、どういうわけだか最近になってメールが来た。しかもブログまであるというので覗いてみれば、相変わらず高校の時から変わっていない。Macを使っているというところまで一緒だし、この年になってもバックパッカーを続けようとしているのが、僕と似ている。
 僕は音楽がないと人生が潤わない。それはつまり音楽無しで生きてはいけるが、物足りない人生で終わるということだ。三代目魚武濱田成夫は「音楽は俺の中にある」みたいなことを言っていたが、僕の場合は明らかに音楽は僕の外部にある。音楽をかけられる場所であれば、絶対に音楽をかける。家に居る間は、ずっと音楽が流れている。テレビをつけている時も、パソコンをしている時も、寝ている時も音楽はかけっぱなしだ。
 日本に居る時はiPodを持ち歩いていたけれど、イタリアではその機会も減った。日本の場合、電車に乗った時や人通りが多いところでは、他人の会話が不快に感じることがあるのでiPodは必須だった。イタリアでは遠出をする時はiPodを持ち歩くが、日常的に外に出る時というのは、授業か人に会いに行く時なので、そういう時は使用しない。何よりもペルージャは町が小さ過ぎて、歩く度に人に会うのでiPodを聞いている暇がない。ちなみにiPod以前はカセットウォークマンとMDを使用していた。CDディスクマンは大き過ぎて使用せず。
 DAIJIMANも良く高校で音楽を聞いていた。休み時間に彼のクラスに行くと新譜CDを聞いていることがしばしばあった。今現在の彼の音楽の定義はわからないけれど、久しぶりのメールでも「最近は何聞いてる?」という質問は外せなかった。音楽が僕の外部にあるのは、僕には音楽的センスがまるで無いからだろう。特に創作能力などはないし、カラオケに行っても音痴と有名である。自分には絶対的に欠けているもの。それが僕にとっての音楽であって、やはり音楽無しでは張りのある人生は送れないと感じる。音楽の話しはDAIJIMANと、と思っていた当時のままで彼も生きているので、僕には音を楽しむ能力がなくても、本当に好きになることができて良かったと思う。DAIJIMAN、良い旅行を。