apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

Steamboy:大友克洋

 週末やっと観賞。何年も前に渋谷のパルコで観たスチームボーイのパイロット版を思い出した。その時に申し込んだ森本晃司の永久家族の通知も、Studio 4℃からやっと先週届いた。もう発売は無いのだろうと思っていたけれど、しっかりとDVDで発売らしい。当時はあの映像に驚きがあったけれど、今見返すとどう感じるのだろう。
 スチームボーイは予想通りの展開だった。AKIRA、Memoriesを観ていないと、「え?何が大友克洋なの?普通じゃん?」で終わってしまう。デジタルにしては時間がかかり過ぎているし、予算もかかり過ぎている。3Dデジタルというのは、9年前だったら素晴らしいけれど、現在ではハードとソフトが進化していて、Star Warsピクサー、ディズニー作品でも観る事ができる。その点においては9年前にそれをやろうとした大友は凄いと言えるけれど、それに手をつけるにはやはり早過ぎたと評価するしかないのだろう。
 作品として、映画として僕は楽しめた。マニアックに作ってあるところを、少年を主人公にしてある分、間口が広くなっていて、切り口がいくらでもある。例えばエヴァだったら、「ロボットものは、ちょっと」なんて言ってる人間に見せるのは大変だが、観賞後ほとんどの人は感想として「使徒とかエヴァってなんなの?」と無意識の内にはまってしまう。スチームボーイの場合、キッズアニメとしても青年アニメ、メカアニメ、エンタテイメントとしても入ることができる。しかし中身を覗いてみれば、それだけでは終わらないものがあるのが大友克洋マトリックススターウォーズロード・オブ・ザ・リングで迫力のあるCGには慣れ、今更スチームボーイでは特筆することもないだろう。背景、メカの緻密さや、大友の遊び心なども過去の作品を観ていれば、真新しいものはないかもしれない。
 宮崎駿は日本の映画界で認められていても、大友克洋押井守は結局アニメの人としか考えられていないのかもしれない。宮崎駿の作品は子供に見せられるけれど、庵野秀明の作品は子供に勧められるものではない、と捉えられているかもしれない。大友克洋がアキラを作っても、国内よりは国外で評価され、ジブリ以上に人気があるのに、国内では過小評価されていた。そういった日本の閉鎖的な、伝統文化に縛られた、保守的な日本の体質に対しての彼なりの表現の方法ではなかったのか。メディアでは色々と作品紹介されていたが、どれもこれも要領を得ていなかった。というよりは、褒めるところを探すのに必死だったのかもしれない。
 作品を見終わって、様々なことを考えた。以上のこともその一端だ。9年間という年月で、大友がスチームボーイを諦めなかった理由。スポンサーを転々として、作品には観えない苦労もあるだろう。作品は作品として評価する人もいるが、僕はどうしても作品と監督の関係を考えてしまう。G戦場ヘブンズドアにも描かれていたが、彼らにとって作品は子供なのだから。哲学にちょっとした恋や成長、発明に発見、希望と失望、葛藤に社会性。スチームボーイは、正に大友克洋の子供だった。

Steamboy Official Web
http://www.steamboy.net/intro.shtml
Steamboyブログ
http://steamboy.cocolog-nifty.com/