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最近は写真日記。

はてなダイアリーのネタが生まれる時

 id:KEN_NAITO:20041001の「おや, マア, なんと」。僕の視点が

ain氏の視点はワタクシよりもう少し高い位置にある.彼の書き方は冷 静で学問的であり,彼が書くとワタクシより遥かに一般的・普遍的(←あくまで 相対的に,ネ)なハナシとなる

と表現されている。「冷静で学問的」というのは嬉しい。「考えすぎな上に、理屈っぽい」というのは良く言われる。そして相対的にKENさんに比べて視点が高く、一般的・普遍的な問題を包括しているのは、KENさんが問題提起→僕がそれに乗っかるみたいな構図だからではないだろうか。きっと僕が何かを問題提起した場合、それにKENさんが意見を出せば、僕の見えていなかったものが見えるようになることは間違いない。
 例えばデザインなどでゼロから作品を創作することは容易いことではない。完成に近いところまで作り上げたとしても、他人が見た時に「ここは、こうして、こうした方が良いんじゃない」という注文が入り「うん、そうか」となる*1。僕らの一連のやりとりはそういうものだったかと思う。ということは、労力のほとんどはKENさんが使い、僕はそれに思っていることを言っただけである……。

一連のハナシ は,実は最近ワタクシがメッセやメールでディープなトークを交わした二人の人物に向けて書いたモノである.

 これは書きながらシチュエーションを想像した。というのも、僕も人間の内面的な事柄、特に自分の思いをはてなに上げる場合は「伝わって欲しい人」がいるからである。もちろん中には自己確認と自己満足のものもある。しかし人間性について触れる場合、ほとんどが「読んでいるはずの誰か」に宛てて書かれたものが多い。
 だからKENさんの記事にトラバ(リファの方が良いのか?)を出した。「きっとこの人は言葉を伝えたい人が居るんだろうな。読んでもらいたい人が居るんだろうな」と感じられたからである。友人や恋人、肉親、それともただの知人か。トラバを出す時に色々な状況をイメージしたから結果としてKENさんよりも高い視点になる。
 はてなダイアリーに書くネタは、僕の場合、日常的な会話の中から生まれてくる。つまり記事を書く時には既に前提条件が存在している。それを切り離してはてなに上げた時、まるで前提条件を知らないユーザがその記事を読んで、「どんな前提条件を設定するか」によってトラバの質が変わってくるのではないだろうか。結果としてそれが視点のズレになるのだから。
 だから一連のKENさんとのやりとりで僕も過去の自分の記事を何度となく見返し、その時の状況を思い出していた。「冷静で学問的」と言われながらも、「なんて感情的な文章で、なんて断定的なんだ」と時間をおいてやっと距離をおけるものもある。タネが人間の会話の中から出てきたものであるからだ。
 自分の前提条件から切り離して、他人の前提条件に乗った時、その仮定はどう変化するのか。それが僕の楽しみでもある。KENさんとそういった話しができたことは幸運である。その内に僕からも問題提起できたら良いけれど……。
 それと興味を持たれて、記事を追って頂けたユーザの方々には感謝感謝。長ったらしい文章をずっと書いていたけれど、「こんなの他人が真面目に読むのか?」と方向転換を何度となく考えたこともあったのだ。結局は「まぁ備忘録代わりで」という風に落ち着いた感があったけれど、「読まれている」という事実は素直に嬉しいものである。はてなを始めて良かった。

*1:もちろんこの流れには行く通りも状況が考えられるが