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最近は写真日記。

誰の所為にするのか

 id:KEN_NAITOさんの「他人, 環境, 自分」id:KEN_NAITO:20041018に関して。以前id:ayacat219さんに質問されて、イタリアに居る理由をコメント欄に書いたが、その話しを基に。
 僕がイタリア、ペルージャに居る理由は至極簡単である。そこに遺跡があるからであって、その遺跡が現代ではイタリアという国の領内にあるだけである。それがフランスにあればフランスに行っただろうし、別にスウェーデンでもジンバブエでも、ドミニカでも何処でも同じだ。良く「イタリアが好きなんですか?」と聞かれるが、僕はどちらかというと「嫌い」と答える。国を好き嫌いで判断するのはどうかと思うけれど、とりあえず聞かれればそう答えるだろう。簡単に言ってしまえば、「現代イタリアには興味がない」となるだろうか。興味の湧く場所は、僕にとってはアジアの方が断然強い。それでもイタリアに居るのは、遺跡がそこにあるからに他成らない。

上司等他人や環境や官僚を批判して, 何か変わるんすか!

 というのはKENさんの言葉。僕の祖父は太平洋戦争時、徴兵された。今でも息災だが、お酒が入ると「政治が」とか「米国が」となる。僕はそれを見てずっと育ってきた。彼は戦争を経験し、その経験から発せられる言葉は貴重なものである。しかし、いつしか僕の心の中には「じいちゃん、それ僕らに言ってもしょうがないよ。本書くとか、発言力を持てる様な行動をしていかないと」という感覚が育っていた。祖父の現地での、実体験を元にした話しは、掛け買いのないものである。しかし「靖国」と「戦争」と「政治」を、会う度に感情論で説かれても、「そうだねぇ」としか言い様がないのだ。例えが少し悪いかもしれない。ここで現したいのは、「見えない敵に吠えるのでは無くて、吠える前に敵を追いつめる、もしくは明確にしておく。そして吠えるよりも、行動で示した方が効果的である」ということで、太平洋戦争がどうのこうのという話しではない。

「今の研究テーマとか, 面白くないんだよねー. お金払ってるのに興味のナイことをやらされる今の教育システムってどーかと思う」

 というのはKENさんの知人の大学院生だとか。修士と博士ではかなり意識が変化するので、3年前という年月を考えても修士だろう。KENさんは優しくアドバイスをしているが、僕だったら迷わず「じゃあ、そうやっている間に自分の研究テーマにあった大学を探せば良いでしょう?世界中探せばどっかにあるだろうし。今ある自分は、君の今までの結果なんだから、愚痴を吐くような選択はしない」となる。というか、何度かこういうことを言った気がする。基本的に優しくない。優しいからこそ、徹底している。優しくないからこそ徹底していない、みたいな。
 修士課程は今では一般化して、学部の続きという感覚があるのだろう。義務教育が終了すれば後は自分の選択次第でコントロールできる。ただそのためには、

踏み出しさえすれば, その瞬間から何かに向かって進むことになる. で,  オマケとして「自分が決めた」というプライドと, 「ゼッタイ諦めない」という意思が, あとから付いてくるんだナ

 という、僕の言うところの「覚悟」が必要になる。ただ実際はそんなに簡単に「踏み出せる」訳ではない。踏み出したとしても、熟考していないと、「あれ?これで良かったっけ?」となるし、熟考していても、「あれ?こんなはずじゃ?」となる。試されるのは、そういった時で、自分が「迷っている」のか「悩んでいるのか」明確にするべきである。「迷っている」のであれば、答えは出ている。「悩んでいる」のであれば、熟考か行動を以て答えにするべきだ。
 僕は偶然にも早い時期から考古学というものに目覚めていた。中学の卒業文集には既に「考古学を学ぶ」と書いてある。高校も大学も、ただ「考古学」の為に選んできた。その度に、「日本の教育制度」には苛立ちと憤りが山ほどあったが、自分が「中」に居る以上、何を言っても無駄である。祖父の様に。別に外から壊せという意味ではない。義務教育時代は、「これはゲームを始める前の取り扱い説明書みたいなものだ」と割り切った。イタリアは「自分の考古学」に近づくため。「将来に不安とかないの?」とか良く言われるが、「えっと、どれだけ長生きする気なの?」と聞き返したくなる。誰に見せるような人生でもなければ、誰の所為にできるような人生でもない。「覚悟」をする度に、「孤独」を感じて、その都度「繋がり」に感謝する。
 日本は選択可能率が高い先進国だ。飢え死になど、他国に比べて無いに等しい。その中の環境も、それを形成する他人も、そこにあるべき自分も、結局は自分の見ている世界でしかない。自分の見たい世界しか、見ていないだけなのだ。見たくないものは見ない。見るにはもちろん、覚悟が必要だからである。
 文章にすると本当に嫌な奴だな、僕は。