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最近は写真日記。

折り紙と言ったら

 今日からペルージャ外国人大学において、「日本人文化週間」が始まった。僕は別にペルージャ外国人大学所属では無いが、そんなことはお構いなしにお手伝いである。実は僕自身先週末にはテストがあって、アップアップだったのだが、それと並行して様々な準備がなされていた。
 この日本人週間、柱となるのは書道実演、居合い実演、イタリア人に依る刀の歴史についての講演、日本人に依るコンサートとなっている。書道、居合いに関しては、ペルージャ外国人大学と提携している日本からの交換留学生が行う。刀の歴史に関してはフェレンツェの博物館で働くイタリア人が。コンサートは日本の童謡などを。
 その他に折り紙コーナーが設けられて、この折り紙コーナーだけは1週間毎日行われている。他のプログラムは1度キリである。僕が手伝っているのはこの折り紙コーナー。ポスター作りとプログラムを任されて、それは自分のテスト前には終わらせた。文化週間と言っても実質5日間だけだが、折り紙コーナーではこの5日間で千羽鶴を作るということになっている。
 折り紙の歴史と千羽鶴の物語を印刷したプログラムを配りながら、イタリア人に鶴を教える。「まぁ外国人大学ならば、日本人も充分いるから大丈夫だろう」と思っていたが、現実はそうは甘くない。「え?うっそ、鶴の折り方なんて知らないんだけれど」という日本人が多いのだ。またイタリア人は「もう、鶴は良いから他のやつにしようよ」という始末である。
 僕はおばあちゃん子だったので、折り紙と言ったら鶴かヤッコ、カブトである。小学校でも千羽鶴を作ったことがあるし、折り紙教室もあった。中学、高校の頃には、まだ僕らの時代には携帯でメールなんてことは無かったから、手紙が主流であった。その手紙を色々な形に折って、相手に渡す。こんな僕でも手紙をイチゴに折れたりしたものだ。
 折り紙の折れない日本人は、特に若い日本人に多いわけでは無いようだ。そういう意味では携帯メールと手紙の関係性など何も無いだろう。ただ若い子に取っては折り紙のイメージは良いところ鶴止まりであって、カブトやヤッコなどには向かわない様である。それよりももっと手の込んだ、華のあるものが人気の様だ。こういったことを文化人類学民族学などで掘り下げても面白いだろう。時代と地域に依ってかなりの変化があるはずだ。今の小学校では折り紙など教えたりするのだろうか?