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最近は写真日記。

石田衣良とアキバ系3人:しゃべり場スペシャル:げんしけん

 やっと、げんしけんを5巻まで読み終わった先日、NHK教育では石田衣良アキバ系の対談が放送された。放送を見る前は石田衣良著作「アキハバラ@DEEP」についての言及があるのかと思ったが、基本的なテーマは「オタクを認めてほしい」という、しゃべり場直球のものだった。出演した3人は現在高校生の男子2名(18歳、16歳)、女子1名(16歳)。特に男子16歳が意見を多く出している様に見えたが、編集でそうなったのだろう。
 しゃべり場では「オタクを認めて」というテーマを以前にも取り上げている。げんしけんを読んでいて面白かったのは、オタクコミュニティに対して、非オタク人がどの様に接していくのかという場面である。つまり高坂真琴に恋している春日部咲は、その恋の成就のためにオタクコミュニティに参加せざるを得ない。高坂はアキバ系としての自覚があるものの、非オタクコミュニティとの間の垣根を意識していない。つまり最初からオタクとしての負い目が無い、真性おたくである。こういった人間に非オタクが恋をした場合、恋を成就させるためには、おたくである人間そのものを受け入れるしかない。結果としてその人間のコミュニティにも何かしらの関係が生まれる*1電車男の場合はその逆で、アキバ系の人間が非オタク社会に参加しようという視点になる。
 「電車男エルメス女」id:ain_ed:20040605でも書いた様に、電車男脱オタクを目指したことにはあまり賛成できなかったが、恋のために自分を変えられるのであれば、それ以前の自分はそういうものだったのだと考えざるを得ない。斑目晴信にもその可能性がある。そう考えるとやはり高坂は真性である。
 石田衣良は最初に「オタクが認められるためには、何をしたら良いと思う?」とアキバ系3人に質問している。「メディアを味方に付ける」と返すが、石田衣良には「それは本質ではない」と返される。それ以外にも提案があったが、石田衣良の表情から、彼が考えているものとは遠かった様である。
 僕からするとそこまでして「認めて」貰う程の危機感は無いように思われる。もちろん幼児誘拐事件などから波及して、一部ではオタクに対しての風当たりが強くなっているが、メディアがネタとしてオタクを取り上げている以上は、それだけの需要があるという事実でもある。例えばヤクザや暴走族、彼らが一般に受け入れられているかと言えば、そういうわけではない。ヤマンバやギャル男がそうであるように、社会がどう思おうが、それでも存在しているのである。
 コミュニティが細分化されれば、枝の末端同士ではコミュニケーションが困難に成りえる。逆に末端故に理解を示せる場合もあるだろう。それが宮台真司の言う島宇宙化に当たるのだろう。
 「オタクを認めて欲しい」という場合、いつも疑問に思うのは誰に「認めて」貰いたいのか、である。「認めて貰いたいわけではなく、そういう存在である、と知って欲しい」場合も、誰に知って貰いたいのか不明である。例えば僕は考古学をやっている。僕の経験から言って考古学を学んでいます、と言えば「じゃあ、化石だ」「ピラミッド」「穴掘り」という反応が一般的である。あれだけ世界遺産NHK等、メディアで考古学が取り上げられても、研究者以外の人間にとっては考古学とはそういうものなのである。博物館、郷土館がありながらも、それが浸透しているわけではないのだ。それは他の学問にしても同様だろう。つまりメディアを味方につけようが、国のバックアップを受けようが、それが一般に正確に認識されるわけではないのだ。
 多分、中・高生が口にする「オタクを認めて欲しい」というのは、ごく身近な人間に対して言っているのだろう。それは家族やクラスメイトがメインで、そのコミュニティを通して、背景にある社会に対して「認めて欲しい」という意識が生まれるのかもしれない。僕が育った環境では、僕がオタクだからと迫害される様なことも、いじめられる様なこともなかった。例えば中学の頃は休み時間にTRPGしたり、お昼休みには運動部とサッカーをしたり。高校でも運動部の部室には漫画が溢れていたし、クラスでオタクと呼ばれる人間も奇異な目で見られることも無かった。今でも秋葉原の帰りにPCパーツを抱えて、代官山の友人の店に寄るが、「あ、何、アキバ帰り?」と言われる程度で、間違ってもオタクを理由に人間関係が壊れるわけではない。要するに「認めて」貰いたい人間には、何かしらのトラウマがあるのだろう。
 そのトラウマは結局の所、笹原完士が当初感じていた様な負い目になるのだろう。逆に斑目の場合は、その負い目を春日部との出会いに依って感じることに成るわけだが。これだけメディアにオタクが氾濫すれば、オタクという言葉も、イメージも十分に伝播している。それが正確か不正確かに関わらず。つまり十分に存在を「認めて」貰っているし、そういう存在がいるということを「知って」貰ってもいるのだ。大切なのは「認めて」貰うことではなく、文化として向上させることだろう。オタク学というのはその先駆けになった。これからは「自称オタク」というものではなく、オタク資格でも設置して「〜オタク〜級」という風に資格化するのも手だろう。その際にカテゴライズの問題もあるだろうが、「認めて」貰いたい人間が居る以上、資格化して分かり易くするのが最良だと思える。

真剣10代しゃべり場
http://www.nhk.or.jp/shaberiba/
スペシャルについては掲載なし)
げんしけん:アニメ版
http://www.genshiken.info/index.html
空と海と風と虹の
http://blog.livedoor.jp/mach_t/
(今回のアキバ系3人の内の1人のブログ)

*1:もちろん方法はいくらでもあり、春日部咲のとった行動は恋に落ちた側の弱みだろう。強制的に対象のコミュニティに参加する必要性は存在しない