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最近は写真日記。

待つとか待たせるとか遠距離恋愛とか:プライド

 海外に居ると遠距離恋愛をしている人に会う機会が多々ある。オーストラリアに居た時も、イタリアに居る時も、それぞれに工夫して恋愛をしている様だった。終わり方もそれぞれであるが、ドラマ、プライドでは「待たせる方が悪い」と、待たせていた側が言い、「待てない方が悪い」と待っていた方が言う。確かに僕の周囲では、海外滞在が長くなれば長くなるほど、恋愛が終わる傾向にある。しかしこれは、恋愛の質に大きく左右され、遠距離恋愛が長引けば別れが待っているということにはならないのは明らかである。
 僕の場合、結婚に関してもそうなのだが、恋愛に関しても期待感が低いので、1人で居ることに時間を割く傾向にある。基本的に他人に割く割合は平均的に、誰かに特別偏ることが無いようなつき合いを好む。もちろん現実的には偏りが出てくるものの、自分の生活を変える様な依存はあり得ない。僕の場合は極端かもしれないが、真性のヒキコモリか人付き合いが上手い人などは、僕の経験上遠距離恋愛が長く続く様だ。
 逆に自分1人の時間よりも他人と居る時間に重点を置いて生活をしている人の場合は、遠距離恋愛を終わらせ、近くの人間に恋をシフトする傾向にある。これももちろん一概には言えないが、仮性のヒキコモリや人付き合いが一定の人間に重点が置かれる様な人は、こういう傾向にあった。
 上記の例は思いっきり僕の主観で、一般的に遠距離恋愛を左右する、もしくはハードルとなるべきある感情を元に、ただ二つのタイプに分けたかったためである。それは「寂しさ」である。
 プライドのハルは「寂しさなんて感じたことないよ、1度も」と口にする。これは嘘でもあるし、真実でもあるだろう。子供の頃、母親が出ていってしまった寂しさを2度と感じない様に、「全てはリンクの上が優先」する。ハルの場合はホッケーであったが、留学をしてまで学びたいものがある場合は、それに置き換えることができるだろう。
 自分が望む様に行動している場合、寂しさはそれほど感じない。「われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である」という様に、考える前に身体を動かさなければならない場合、感情に支配される暇も無いだろう。
 留学してくる人間にも様々な背景があるが、「特定の場所に明確な目的がある場合」と「留学ができれば良い」と、2つに大別ができるだろう。ハルの場合は、NHLが目的であってカナダに行くことが目的ではない。つまりNHLが日本で開催されていれば、日本に居ることになる。語学の場合、限られた方言を学ぼうと思わない限り、地域は限定されない。例えば英語であれば、基本的に英語圏であれば何処でも良いわけであって、選択肢の中から自分にあった条件を選ぶことになる。これは「留学とは、海外とは何でしょう?」id:ain_ed:20040928でも触れたことである。僕の場合だったら、オーストラリアは語学で、これはカナダや米国、英国でも良かった。イタリアは、ペルージャでしか見られないものがあるために、ここにいる。両者には根本的な違いがある。
 ただ今回は、留学の目的は棚上げにして、遠距離恋愛と寂しさの関係に触れて見たい。プライドでも「待たせる側」の理由は、その人物全てが、明確な目的があって、恋人の元から離れる設定になっているのは、寂しさのあり方を浮かび上がらせたいからだろう。
 1人で居られる人と1人では居られない人。僕の経験上、1人で居られる人というのは、全てを忘れる程に集中できる何かを持っている人である。他人との繋がりが面倒臭くなるほどに。仕事でも学問でも趣味でも良いだろう。逆に1人で居られない人というのは、寂しさを紛らわすために人に頼ってしまう。物事を解決できずに、人に頼る頻度が高い。これは場合に依って一長一短だろう。1人で解決した方が良い問題と、1人では解決できない問題がある。また誰かに居てもらわないと、何かに集中できない人も居るが、真に1人で居られる人の場合はどんな状況においても、1人で集中できる環境を作り上げる能力が備わっているはずである。
 孤独という言葉を使わないのは、1人で居るから孤独というわけではないからだ。逆に集団の中に居ても孤独と感じることもある。それに遠距離恋愛において、寂しさを感じることはあっても、真の孤独を感じることは稀だろう。孤独感は寂しさとは違った、もっと根本的な問題だと思う。
 どちらのタイプも寂しさを持ちながら、その対処法が違う。何よりも恋愛に対しての距離の取り方が違う。1人で居られる人間に取っては、寂しさを紛らわすことは大した問題ではないだろう。寂しさを楽しめる時もある。しかし1人で居られない人間に取っては、寂しさに1人で耐えることは困難である。この寂しさの対処法、僕が見てきた人たちは、世代も年齢、性別さえも関係なく、寂しさに対して耐性があるかないかで、遠距離恋愛の終わり方が違う。
 1人で居られる人間が、遠距離恋愛を終わらせる時は、相手との恋愛を終わらせる時である。しかし1人で居られない人間が遠距離恋愛を終わらせる場合、必ず次の相手が居る。対象が変わってはいるが、恋愛感情に整理が着かず、寂しさを紛らわすことが目的と成っている場合が多い。「寂しいから」「好きな人には近くに居て欲しい」「触れないと駄目」「離れているとやっぱり駄目」、そういった言葉を、1人で居られない人間から数多く聞いてきた。
 別に1人で居られることが偉いことでも無いが、恋愛に寂しさは付き物だろう。相手を認識するからこその寂しさであって、寂しさを紛らわす為に他人を使うのは、相手に対して失礼だ。もちろん頑なに1人に拘ることもなければ、1人でしか居られない人もこの範囲内ではない。1人で居られる人間が、自己愛を越えて恋愛をするのは困難ではあるが、遠距離恋愛をする場合には長続きする可能性が高い。ただ自分のやりたいことに没頭するあまり、恋人さえも忘れる危険性はあるのだが。
 プライドの兵藤がそうであったように、自分のために遠距離恋愛に成る場合は、その相手を一緒に連れて行くのが最高の状況だろう。ハルはNHLの為にカナダに行くが、実際の所アキが日本に居なければ成らない理由は特にないのだ。結果としてアキもカナダに行くことで話しは終わるが、解決策としてはそれが健全だ。ただこれは、お互いにやりたいことがあり、その土地でなければ達成できない状況であれば困難になるが、明確な目的がある場合、待つとか待たせるという意識はそこまで無いだろう。
 ダラダラと書き過ぎて、まるでまとまっていない。色々なツッコミをもらうと思うので、その都度整理できたらと思う。遠距離恋愛に対して書きたかったのに、話しが飛び過ぎてる…。