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最近は写真日記。

ラピュタとゴリアテとダビデ像

 初期セム語で「ゴリアテ」の存在を示す様な陶器が発見されたらしい。"Alwat""Wlt"はペリシテ式で「ゴリアテ」と訳せるとか。
 つい先月のことだ。友人がフィレンツェを見たいとかで、お勧めを聞かれた。僕はフィレンツェというとウフィッツィよりも、考古学博物館かアカデミア美術館の印象が強い。ミーハーな人間はドゥオモに上りたがるが、中途半端な気持ちで上ると辛い目に合うので、あまりお勧めしない。考古学博物館は僕の専門なので、他人にはどうでも良いのだが、アカデミアのダビデ像だけは見ておいて損はないだろう。僕はそれまで彫刻を見ても何も感じなかった。ヴェッキオ宮の前にもダビデ像のレプリカがあるし、何というかナメていた。しかし本物は違う。ベンヤミンの示すアウラというのか、ダビデの腕に浮かぶ血管一本一本に見とれてしまった。同じく代表作とされるピエタよりも、僕はダビデ像が好きである。
 中学の頃だ。マスターキートンで、僕は初めてダビデとゴリアテのエピソードを知った。それまではダビデ・ソロモン・イスラエルがキーワードで、ゴリアテラピュタの戦艦でしかなかった。日本人にダビデのエピソードを説明する場合、天空の城ラピュタを例に出せるので案外容易である。フィレンツェを訪れるという友人にダビデが何を睨み、布と石をどの様に使うのか説明をした。ミケランジェロがダビデに彫り込んだ勝利と正義とは何なのか。それは複製物ではなく、オリジナルを見ることでしか感じ取れないことである。
 今回の発見で「巨人ゴリアテ」が存在したということは、どうやっても立証できない。陶器(一概に陶器と言われても曖昧なのだが)の年代測定によっては、聖書以前から「ゴリアテ」という名前が伝承されていた可能性を示すものになる。ただその「ゴリアテ」という名称が、巨人を示すものなのか、民族を示すものなのか、はたまた都市を示すものなのか、その確定は容易ではないだろう。
 日本のメディアの伝達の仕方にはやはり問題があるだろう。ちょっとした発見を話題性に変えようとする。僕も現場で記者発表の経験があるが、考古学のことなんて何もわかっちゃいない素人に、どういう発見なのかを伝えるのは困難である。当時の教授は「記者発表なんてのは、新聞記者に好き勝手書かれない様に、情報の並列化をするために行うんだよ。彼らは何もわかっちゃいないんだから、僕らがその筋書きを用意して、その通りに新聞に載っけてくれるのが一番間違いが無くて良いんだ」と、僕らに説明してくれた。後々掲載された記事を読んで、確かに、と感じたものである。