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最近は写真日記。

基本と最先端

 MORI LOG ACADEMY:美術より。

コンピュータを使った美術が小学校や中学でどれくらい扱われているかも、残念ながら知らない。これは、小学校の国語の時間にワープロがどれくらい使われているか、数学でプログラミングがどれくらい扱われているか、よりもはるかに心配である。なにしろ、今や、コンピュータを使わないこの種の仕事はないと思われるし、そもそも基本が既にデジタルだと感じられるからだ。ちなみに、算数で立体図形を扱うような場合には、コンピュータの利用が最も説得力があるだろう。
 子供には基本を教えるべきだ、という声も聞く。僕は、子供には最先端のものをまず与えるべきだと感じる。人間の学び方は、その順の方が自然だから。

 「最初から応用ができれば、基本なんて要らないが、そんな人間は数少ないので、基本から教えます」とは良く言われた。特にスポーツ関係で。ただ西洋スポーツ、例えばサッカーやバスケットなどは、基本練習半分、応用半分だが、日本スポーツ、つまりは剣道や空手、柔道などは、基本が全て、という感覚が強いだろう。そういう所にも、日本と欧米の教育の根本的な差(善し悪しを示さない)がある様に思われる。
 コンピューターやインターネットというのは、日本的に考えていては、いつまでたっても「最先端」には辿り着けないのではないか。例えば「世界史」という授業がある。通年を通して、「現代」まで辿り着くことなど珍しいだろう。ほとんどが「時間がないので、中世まで」とか、「中世から初めて近代まで」となってしまい、「現代」に関してはあまり触れられず、「現代世界史」というものが抜け落ちてしまう場合がある。例えば第一次世界対戦に関しては詳しく教えても、教育上問題があるのかわからないが、第二次世界対戦に話しが進むと、何故か曖昧になりがちで、戦中の日米間には触れても、その他の戦中の状況にはあまり触れない。触れたとしても、敗戦国処理ばかりで、どうも「現代」に繋がり難い。
 テーマがブレはじめたが、子供に「物」を与える場合は、最先端であった方が良いだろう。ただ「教える」となった場合には、基本からか、最先端からかは、その子供の興味次第になるだろう。また「基本」か「最先端」かの選択も、やはり子供に委ねられても良いはずであり、その前提として、「親のフレーム、要するに情報の取捨選択」に依って、それが限定されてしまうことは避けるべきだと感じる。何よりも「それは基本だ」と「これは最先端だ」という見極めができることこそが、「基本」だとは思うが。