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最近は写真日記。

赤ちゃんに対する反応の違い

 ジュニアが大人気である。街を歩けばそこかしこで声をかけられる。日本人の赤ちゃんが珍しいからではなく、「赤ちゃん」というだけで街の人々は大切にしてくれる。その差異に気がついたのは空港を出てすぐである。ローマ・テルミニに向かうエクスプレスの中で、抱っこヒモでジュニアを抱いて立っているとすぐに「ここに座りなさい」と何人かが声をかけてくれた。中には小学生低学年程度の子供もいて、わざわざ席を譲ってくれようとした。
 ペルージャに着いてからも通りすがりの人々に「何ヶ月?」「名前は?」と質問がひっきりなしに飛んでくる。見知らぬ人でもそんな感じなので、知り合いの反応はそれ以上である。もうほとんど親以上に親というか、「風が冷たいから靴下をはかせて」とか「そんなパジャマみたいな服で外に出しちゃだめじゃない」とか「何年後かは私の彼氏ね」とか、ジュニアしか目に入らない様で、教えてもいない知人からもジュニアの名前を呼ばれるのである。
 もちろん日本でも「可愛い」というペット的目線で見られることはあるが、例えば電車の中で泣いたりすると、「うるさい」という感じで見る人もいれば、露骨に「黙らせろよ」と言う人間もいる。イタリアでは、例えば先のエクスプレス内でもジュニアは一瞬ぐずったが、「お腹が減ったのかしら」とか「眠いんじゃない?」とか、要するに一緒にあやしてくれようとする。
 この違いを具体的に言えば、日本の場合「赤ちゃん」という存在に対して距離を保ち、核家族が象徴する様に家族のレンジが狭く、他人の赤ちゃんは結局人ごとで、迷惑をかけてくれるなよ、という距離感が多い。イタリアでは「赤ちゃん」はどちらかというと人類にとっての「赤ちゃん」であって、みんなで育てていくものという意識が強いようだ。根本にはキリスト教に基づく家族観があるのだろうが、どちらも少子化という悩みを抱える国にも関わらず、ここまで「赤ちゃん」に対する意識が違うのは興味深い。
 日本では少子高齢化に対して様々な政策を画策している様だが、「赤ちゃん」に対する意識の根幹をシフトしていかない限りは、結局経済面での支出に始終し、後々に国民全体の首を絞めることになりかねない。
 子供が泣いたら「うるさい」と感じる内は、少子化のままでいっこうに構わないのでははないか。犬は吠えるものだ。猫も鳴くものだ。そして人間もしゃべるものだ。そうやってそれぞれ聴覚的にコミュニケーションを取る。赤ちゃんも然り。