apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

今はニートですが、日本に帰ればパティシエ。

 2002〜2003年の半年間は、僕は全く日本人コミュニティには参加していなかったので、K君に出会ったのは、2003年の事だったかと思う。ただそれ以前から彼の噂は聞いていた。彼に関する話しには大体「金持ち」「パソコン」「ひきこもり」「お酒」「アニメ」という単語が関連付けられていた。始めて彼に会った時の印象は良く無かった。
 今でもそうなのだが、飲み会が好きな人間に対しては距離をおいてしまう。その上誘い方が強引だったり、「酒を飲め」と強要する人に対しては今後一切お会いすることはないだろうと思うくらいに嫌悪感を抱く。
 当時の彼もそういうタイプだった。もしくは当時の彼の周囲の人間がそうだったのか、その場の楽しみを優先する関係性で、僕にはあまり興味のないコミュニティだった。その関係に変化があったのは2005年に入ってからである。彼の周囲の人間がほとんど日本に帰国し、またペルージャに住む日本人がほとんど入れ代わった時に、僕らの距離は大分近付いた。
 今ではいつだったか記憶にないが、2人だけで夜中まで話したことがきっかけだった。「30才までは好きにして良いって約束でね、日本に帰ったら嫌でも家業を継がないといけないから」その時、既に彼は29才で、約束の年が来年に迫っていた。彼の実家は地方ながらも有名な洋菓子屋であり、彼は大事な跡取り息子だった。「それから逃れようとして、東京にも出たけれどね…。今はイタリアで、結局来年30だし」地元から東京に出て、音楽で成功していた時期もあったという。名の売れたプロデューサーに見い出され、ゲームサントラ等に曲を提供していたという。「なんだかそのままいったら、本当の意味で自分がダメになりそうだったからね。それでイタリアに来たんだ」周囲の人間の反対を押し切って、当時つき合っていた彼女と共に彼はイタリアに留学した。
 最初の地はフィレンツェ。「何もわかんないからね。あの時ほど勉強したことはなかったよ」確かに他の「ひきこもり日本人」、つまり日本人だけで群れてイタリア語も碌に話せない人より、彼は日常会話は十分にできた。そこからペルージャに移り、生活を始めたが様々な変化があった。日本から一緒に来た彼女とも別れ、短期間的には仕事はしても、学校にも通わず、日本人と群れ続ける日々が続いた。多分「数年後には嫌でも日本だから」という諦めがあったのだろう。そういう時に僕は彼に出会ったのだった。
 距離が近付いた、と書いたが、それでも余程の用事がない限り、あまり会うことはなかった。根本的なところで、お互い似た部分があったのだろう。そういう付き合い方もできる人なんだ、と自分の視野がそれまで限定されていたことに気づかされた。
 去年の夏、僕が日本に帰っている間、同時期にお互いに彼女ができた。イタリアに帰ってからは、彼女達同士が意気投合し、それを介して僕らも連絡を取り合う機会が増えた。結婚が決まっていた僕らとは違い、彼らは「イタリアだけの付き合いにしようと思ってる」と期間限定のつき合いを公言していた。
 嬉しい知らせがあったのは僕らが日本に帰って来てからだった。「結婚することになった」仕事を始めるために先に帰って来たK君からメールが届いたのだ。既に2人で生活できる様に準備しているということだった。それが今年の春のことである。
 そして先日、幸せ一杯の2人に会うことができた。K君の彼女は夏にイタリアから帰国し、仕事をしていたが11月いっぱいで辞め、K君の地元に引越すことになったのだ。「式は来年だし、日程はまるで未定だけれど、来月、12月に籍だけ入れることになったから」そう報告してくれた2人は本当に幸せそうで、K君の生活も忙しいながらも充実している様だった。パティシエに成らなくても様々なスキルがあるのだから、他の道もあっただろうに、律儀に朝から晩まで休み無く家業に集中しているとか。
 同時期につき合いが始まり、同じ年に結婚。しかも「まるっきり同じ性格だよ」とお互いの彼女が言う程に、僕らは似たもの同士らしい。差異があるとすれば、僕はSで、彼はMということくらいだとか。もちろん上部での食い違いはあるとしても、根底は同じ様なのだ。
 「K君の様な、優しさっていうか、あのどうでも良さそうな感じが、時には人を楽にさせることがあるんだよ。そういう意味では、ああいう人は必要でしょう」と言っていた人がいたが、今ならその雰囲気を感じることができる。「そういうものもあるんだな」と視野が広がった。
 彼ら2人は僕が祈る必要がないくらいに、これからも幸せでいることだろう。自称ニートからパティシエに。そして職業以上に良き伴侶に恵まれてなお、「僕はニートが良いのだけれど」と笑う相変わらずの彼に祝福を。