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最近は写真日記。

集団教育

 「ともだちって大事か?」MORI LOG ACADEMYより

 学校などの集団生活になかなか溶け込めない子供がいる。そういう子供が大人になって、ごく普通の社会人として、社会に溶け込む。逆に、子供のときに明るく仲間と遊んでいたのに、大人になって、社会に溶け込めない人もいる。いろいろである。
 大人は一人でも今は特に困らない。一人でも楽しく生きていける。だから大人はそれで良い。しかし、子供の場合、一人きりになりがちな子は、周りから余計なことを言われる。虐められたりもするだろう。そういう子供に対して「友達を作って、仲良くやりなさい」と一方的に指導するのは、たぶん間違いだ。
 今の社会は、友達ができることが、とんでもなく価値のあることだと教えている。たいていの物語は、友情を誇張し、美化し、これがすべてを救うと訴えているし、大人も先生も口を揃えて言う。本当にそうだろうか?
 もちろん、友達に価値がないとはいわない。しかし、そんなに押しつけるようなことかな。別に、友達が本気で欲しかったら、自然にできるだろう。溶け込めない、というのは、わいわいはしゃげないだけのことだ。笑ってはしゃぐことが、友達の輪だという変な幻想がある。
 友達というのは、たとえば、メールをたまに交換するだけとか、1年に1度会えるだけとかでも良い。年齢も全然違っているとか、極端な場合、相手は友達だと思っていなくてもべつに良い。それでも、立派な友達だ。毎日会って、じゃれ合っているばかりが友達ではない。人それぞれである。
 だから、周囲の人が「もっと明るくなれ」「友達を作れ」と言うのを、そんなに真に受けず、自分が楽しいことをするのがよろしい。それが幸せだ。学校にいるときは、面倒だけれど、その場限りでも良いから、友達の振りをしていれば、まあそんなには虐められないだろう。そこは上手く立ち回ろう。自分の時間は、一人で部屋に籠もって、自分が楽しいと思うことをすれば良い。
 というように指導をすれば、もう少しは思い悩む若者が減るのではないだろうか。友達づきあいに神経をすり減らしている人を見ると、そんなにまで友達って大事なものなのか?と僕は不思議に思う。「友達は財産だ」とよくいわれるくらいだから、つまりせいぜい財産程度のつまらないもの、という意味かと思う。
 親しげに近づいてくる奴よりも、無愛想だけど自分の楽しみを知っている奴の方が、つき合ったら断然面白いものだ。

 「人を使うこともできなければ、人に使われることもない、本当に一匹狼だよね、君は」と言われた。以前にも書いたが、選択された場に依っただけのコミュニティにはまるで興味がない。興味がない、というよりは重要性を感じず、役割をロールプレイすることに楽しみを覚えるくらいである。自分のコミュニティは自分で選択していきたいとは思うが、コミュニティの定着には、同様に興味がない。「ずっと仲間」という意識も、「ずっと友達」という意識もただの執着にしか思えない。そういう意味ではStand Alone Complexとは良く言ったもので、同志という言葉が落ち着きやすい。一期一会の連続こそが、僕の求める関係性であって、思い出の共有に価値はない。