apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

西洋医学

 「<赤ちゃん>生後5カ月で人の顔認識 愛知・生理研が初実証」より。

自然科学研究機構生理学研究所(愛知県岡崎市)の柿木隆介教授(神経生理学)らと中央大の共同研究グループは、生後5カ月の赤ちゃんが、人間の顔を認識しているということを世界で初めて科学的に証明した。今月中に米国の神経画像専門誌「ニューロイメージ」で研究結果を発表する。脳血流の変化を測定する機器を使用することで、脳の活動部位を客観的に検査する実験でわかった。

赤ちゃんが人間の顔を認識するのは、子育てをする主婦たちの間で、3カ月目ぐらいだろうと言われていたが、実証するのは難しかった。

 「この時期には母親と他人の区別ってできますかね?」ジュニアの4ヶ月検診に言った時に、小児科医にそういった内容の質問をした。彼は「どうですかね。一般的には『何も』認識できない時期とされています。ただ東大の研究者が論文を出していまして、『母の体温』に関してのみ感覚できる、というものもありますがね。何とも言えないのが現状です」と答えたが、ジュニアの変化は3ヶ月頃から始まってはいた。
 母(奥さん)と父(僕)が抱く場合では反応が極端に違う。それは例えば母と祖母(奥さんの母)でも違うし、母と他人(友人など)でも差異が生じる。小児科医の話しから、そういった反応、反射は親の誤読だと思ったが、そうとは言い切れない様だ。その反応を科学的に実正するのは困難を伴うのだろうが、経験的には認識力の差があることが知られていたようである。
 明確に差が現れるのは子が眠る時である。体温、肌触りとは別に、眠り入ろうとする時に、人の顔をジッと見つめるのだ。具体的に、母が子に指1本触れずに添い寝をする。ふとした瞬間に父に切り替わると、子は目を逸らし泣き始めるのである。そして母がまた父に替わると、子は安心したかの様に眠りにつくのである。これは子が眠りについていて、目が覚めた時に母が隣にいないと同様に泣き始める。生後2ヶ月程度までは隣に誰がいようと、誰が抱っこをしていようと、問題は母乳、もしくはミルクであったのに対し、ある時期から、特定の人間、つまりは母と他の人間の差を構築した様だった。抱っこに関しては、2ヶ月目までは父の抱っこで眠る確立が高かったのに対して、ある時期を過ぎる頃には、父もしくは他人の抱っこどころか、父もくしは他人が何をしても拒否をする時期が続いた。つまり母以外の人間に対して距離感を感じ始めていた時期だったのであろう。
 子育てを経験したことがある人間であれば、認識力の成長は日常的に感じるはずである。が、経験的にわかっていても、科学的に理解されることが無かったが故に、「そういうことは無い」とされていた。科学が先行していたが故のブラインドであって、経験論が軽視されていた、という事実でもある。ここでは西洋医学が細胞学に依る以上、解体、分析、つまりは近代科学至上である以上、科学的根拠が発見できなければ『何も』無いとされてしまうわけである。これが例えば経験医学であれば漢方であれば、また違った回答になっていたのだろう。
 経験的にわかり切っていたことを、解体・分析し科学的に証明する。これは近代科学の命題でもあった。しかし経験的にわかり切っていたことが、科学的に証明されなければ、存在も認められない様であっては盲信的としか言えない。他を否定することに依っての主体化では宗教と変わらない。つまりは科学が宗教の代替品としか認識されない様では、科学の求める客観に辿り着くことはないのである。
 人間の外から内へ。科学は技術が進歩する度に人間の内的領域の実体を証明してきた。しかしそれも未だに僅かな領域だけであり、人は相変わらず未知である。「わからないこと」を、「わからない」と証明することができるのもまた科学である。証明されたから「わかった」わけではなく、今までブラインドだった視界が拡がった、という風に捉えていけば、混沌に生きることもできるのだろう。