apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

アインのタチコマ的家出

 日本に帰国し、僕は地元を離れた。同じ様にアインも実家を離れたが、僕が住むマンションではペット禁止なので、自転車で10分程の距離に住んでいる奥さんの実家においてもらうことになった。朝はお母さまが、夜は僕が仕事帰りに寄って散歩をしている。最初は新しい環境に戸惑っている様子だったが、新しい犬小屋や新しい散歩コースに満足した様で、得に不満の色は見えない。
 先々週のことだったかと思う。「アインがいないの」外出しようと犬小屋を覗くとアインが見当たらないという電話が入った。どうやらその前の晩もリードを噛み切って独りで散歩に行っていたらしいが、探しに行こうとするとやはり独りで勝手に帰って来たという。その時も自分でリードを噛み切ったそうだ。「もしかしたら発情期かも」と、独り旅の原因は定かではなかったが、とにかく探しに行くことになった。「どこだろうね」という奥さんの言葉に、「道端に白いのが横たわっているか、犬小屋に勝手に帰っているか、そこら辺じゃないかな」なんて笑い話しをしながら僕らはアインの散歩コースへと向かう。
 実際のところ、アインの家出は日常茶飯事だった。特に実家にいる時は玄関にリードを引っ掛けているだけだったので、アインは外に出ようと思えば簡単に出られた。その度にそれぞれの雄犬のところに挨拶に周り、散々遊び回って帰ってきていた。アインに出会った時から彼女(アインは雌)は、捨て犬の境遇からか、自由気侭に走っていってはお腹が減ると帰ってくるという、本能的な性格を有していた。
 果たして、アインは直ぐに見つかった。家から5分も離れていない公園の中で、白い犬が優雅に歩いていたのだ。そして、その白い犬を誘導している少女がいる。アインはリードもなしに、その少女の後をゆっくりと歩いて回っていた。少女は追ってくる白い犬を振り返っては、何かを話しかけては笑い、時々立ち止まり、その白い犬を撫でてはまた歩き始めた。
 「アイン!」遠くから僕が呼んでもその白い犬は知らんぷり。「もしかしてアインじゃないんじゃ」自分の犬を見識できない様になったら終わりだと思ったが、近付いて見てみるとやはりその白い犬はアインだった。彼女たちと僕らの距離が縮まり、ほんの数メートルという距離になった時、アインはこちらに気づき尻尾を振って走って来た。僕はアインを撫でながら、首輪とリードを確認したが、やはりリードが途中で噛み切られていた。
 「この子の飼い主さんですか?」その少女が訝し気に口を開いた。「はい、ちょっと逃げちゃったみたいで、探してたんです」奥さんが成りゆきを説明すると、その少女は「良かったぁ、この子独りぼっちかと思ったです」と本心から安堵している様に、しゃがみこんだ。その子は、小学校低学年、もしくは小学校入りたてというくらいの年格好である。
 「ずっと見ていてくれたの?本当にありがとう」お礼の言葉かけると、「ううん、この子本当に良い子で、全然吠えないし、触らせてくれるし。でもいろんな犬のところに行っちゃうの。レトリバーとか、コッカー・スパニエルのところか」それ意外にも色々な犬の名前を言っていたが、実際僕の知らない犬種もその少女は知っていた。「犬が好きなんだね」というと、「うん、だけどマンションで飼えないから」と、少し寂しそうな顔をした。
 それから僕らはベンチに座って、少し話しをした。アインの散歩グッヅに興味を示したその少女は、その鞄の中から色々取り出しては、アインに試そうと無邪気な笑みを浮かばせていた。少しして「もうお昼ご飯だから」と、その少女は立ち上がると、僕らが一瞬返事に詰まる言葉を、その少女はお辞儀と共に残して走り去っていった。
 公園に居たほかの家族にも「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げ、ご満悦のアインを新しいリードに繋ぎ僕らは帰った。「アインはあの子に会えて良かったね」帰る道すがら、彼女が残した言葉が何度も蘇った。僕らはあの少女の様な人間に、これから何度出会えることができるのだろう。何より、彼女の様な人間に、僕らは自分たちの子供を育てることができるのか。
 ベンチからヒョイと立ち上がって、彼女は僕らにペコリとお辞儀をして、こう言ったのだった。
「ありがとうございました」
と。