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最近は写真日記。

ノートサイズ

 PCの話ではなく、ノートブックのこと。会社の研修で「A4ノートを持参して下さい」と言われた。その場では何の疑いもなく、「はい」と言ったが、後々考えると「B5の間違いじゃないのか」と、手渡された書類を確認してみる。しかしそこには「A4ノート」と書かれていた。
 確認してみると、「え?今はA4が主流じゃないですか?多分B5はあまり使わないと思いますよ」と、「何言ってるんだ?」的に言われた。実際のところA4だろうが、B5だろうが、使えればどちらでも良いのだが、多分言わんとしていることは、A4ノートであればA4書類を渡された時に、しっかり挟めたり、張り付けられたりできるということなのだろう。ただやはりノートを買いに行ったところ、B5ノートの占める割合に比べてA4ノートの割合は低かった。世界堂や有林堂とかにいけば同様に並べられているのだろうが、ちょっとした文房具売り場では、B5サイズの方がメインに取扱われている様子だった。
 自分のことを思い出してみる。ノートをしっかり使っていたのは中学までで、それ以降はルーズリーフ中心になってしまった。ただイタリアではノートを持ち歩いていた。
 小学校時代スタンダードだったジャポニカ学習帳を見てみるとB5サイズの商品が充実している。中学時代使用していたコクヨノートのサイズにはばらつきがあったが、やはりB5のまとめ売りノートを良く購入していた。逆に高校で使用していたルーズリーフは、全てA4サイズだったが、時々使用するノートは相変わらずB5を使っていた。これは大学でも同様だった。イタリアではB5サイズのノートを見つけるのが困難で、A4サイズのリングノートと、同サイズのルーズリーフを使用していた。ただ日本から持参したノートは全てB5だった。
 何故A4という指定なのかは今のところわからない。「筆記用具」であれば、メモ帳とペンと捉えられるが、しっかりとA4ノート指定なので、何らかの意図があるのだろう。小学生並にノートの使い方とかを教えてくれるのかもしれない。
 インプットとアウトプット。小中高、大学、イタリアとノートの取り方がまるで違う。小中では、黒板を丸写し。高校ではノートを自分でまとめていた。大学では黒板というより、プリントに書き込んでいく方が多かった。またノートを取る、というよりは、小さいメモ帳に、ちょこちょこ書き込むことが多かった。イタリアでは、イタリア人に習い、先生が話している言葉をそのままノートに書き込んでいた。
 大学でのノートの取り方が違うのは用意されたプリントに負うものが大きいが、何よりも「聴講する=インプット」、「ノートを取る=アウトプット」であり、インプットしながらのアウトプットに違和感を感じていた。要するに人の話を聞き「ながら」、ノートを取る、という行為が学習という面においてはどう作用するのか疑問だったのだ。簡単なメモ、例えば数字、日付け、名前などであれば、フックとして機能するだろうが、説明される現象そのものを丸まるノートに写す、という行為には強いて言えば否定的だった。インプットをする時は、インプットに全力を注ぎたい。結果として自分に残ったものをアウトプットするのであれば、「学習した」範囲が分かりやすい、そう考えていた。
 しかしイタリアに行ってノートの取り方が変わった。「ローマ人のやり方」に従い、彼らがそうする様に、講議内容全てをノートに写し取るように努めた。イタリア人教師も、学生がノートに写せる様なスピードで、また綺麗なイタリア語で講議を進めてくれる。「そんなんだったら、最初から講議内容全てをプリントして配れば良いんじゃね」と思うのだが、これは講議自体の存在意味が、日本のそれとは違うからである。日本の大学の場合、出席が成績の60%を占めると言われている。つまりどんなにテストが悪くても、出席さえしていれば「可」の成績をもらえるということである。だがイタリアでは出席日数は重要ではない(実習や演習などは別だが)。テストのデキが全てだと言っても過言ではなく、自宅学習がしっかりと行える学生であれば、講議を受ける必要もない。要するに講議の存在意味は、自宅学習していてもわからない人たちのために、担当教員がわかりやすくテキストを説明してくれる、というものなのである。そのためイタリア人学生は、とにかく講議内容を細かくノートに写すのである。後々そのノートを読み返し、テスト前にまた各自でノートをまとめる。インプットのためのスループットとでも呼べば良いのだろうか。
 今現在仕事をしていても、数字や日付け以外ではあまりメモを取らない。しかも実際はメモを取っても、あまり活用はしておらず、事が済んでからメモの存在に気がつくことが多い。この場合は、インプット、アウトプット、そしてインプットの循環がその場で行われている。つまり書いている内に既に記憶に留まる。どちらにしてもメモを取る時は付箋程度のもので、ノートに書くことはまずないのだ。
 A4ノートを必要とする程、覚えることが多いのか。それならば使い方はスループットだ。研修を受けてみないことには何とも言えないが、「人は書くことによって馬鹿になる。外部記憶に頼り過ぎる結果として思考力をも低下させる」そんな様なことを昔の哲学者が言っていたことを思い出した。