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最近は写真日記。

これが21世紀

 先日、エアコンを新調した。シーズンオフとなり、安くなったシャープの自動お掃除機能付きを購入した。10年掃除要らずということで、確かに使用後にブーンという機械音がして、中で掃除らしきものが行われているようである。購入する前に大手家電取扱い店をいくつかまわったが、想像以上にこの自動お掃除機能は優秀らしく「自分で掃除するよりは綺麗になります」と販売員、メーカーヘルプ等が口を揃えて言っていた。実際の所、10年も使用すれば買い替えの時期なので、買い替えまでお掃除要りませんというのが売りなんだろう。
 最近では自動お掃除機能付きの家電が流行りの様だ。消費者側でも、メーカー側でもそれが一番のポイントとなりつつある気がする。例えば「流れる水でお掃除」の全自動おそうじトイレ、アラウーノ。同じく水の流れを利用したユニットバス排水口、くるりんポイ。また少し方向性は異なるが、サイクロン型掃除機では唯一と言われる、フィルター詰まりのないダイソン掃除機。それ以外でも「汚れ難い」を売りした商品がプッシュされている。
 子供の頃に見せられて(魅せられて)いた近未来、もしくはいわゆる21世紀像の中には必ず「お掃除ロボット」がいた。もちろん掃除だけを専門に行うわけではなく、家政婦ロボットというのか、家事全般を自動で行ってくれるロボットというのが、当時の「近未来」には欠かせない要素だったかと思う。このお掃除ロボット像には、穿った見方をすれば「家事」という仕事は全てロボット的(主従の従)、もしくは自動的に行うものである、という倫理的、もしくはその姿格好からジェンダー的問題を孕んでおり、ロボット「でも」それらの仕事をこなせるものだ、という隠喩があった。その点については深く追求しない。
 気が付けば世間には全自動のモノが増えている。わざわざ家政婦ロボットを作らなくても、今ある家電を全て全自動に切り替えてしまえば、後はスイッチを押すだけで良いのだ。21世紀になって、劇的に生活が変わると勝手な近未来象を作っていたが、それは結局フィクションの中の話なのだろう。現実では、劇的な変化はなくとも、着実に、消費者にカルチャーショックを与える事無く、見ず知らずの内に浸透し、それこそユビキタスを実現している。長いスパンで捉えれば、例えば明治期の日本人が今の生活を見たら驚くことは間違いないし、また他国、例えばイタリア人が今の日本人の生活を見てもカルチャーショックとは違った、生活レベルでのテクノロジーの差にショックを受けるだろう。
 自動お掃除機能付きエアコンは今日もオートマチックに働いてくれている。次は何が全自動になるのだろうか。例えばSACシリーズ1の最終回に出て来た図書館の様に、本の整理整頓が自動でできたら素晴らしいと感じる。同様にamazonで検索、ヒットが直ぐできる様に、気軽に立ち寄った書店でも検索、ヒット、購入がすぐにできたら、便利だと思う。現在では検索システムが導入されているが、その棚に導いてくれるだけで、そこからは自力で探さなければならず、おまけに在庫もわからない。もちろん全てが全自動になったからといって便利になるとは限らないが、それについての言及は今までに嫌と言う程なされて来ているのでスルーしたいと思う。
 そう言えば人間も全自動じゃないかと思った。死という現象に関していえば、イレギュラーなく、自動で備わっている機能なのだから。