apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

曲がりくねった道を一歩づつ歩いた足跡は、もみじになって

 先日、幼馴染の赤ちゃんを見に行った。10月11日生まれの女の子である。彼ら夫婦は、高校時代からのカップルで、今年で14年目。ある意味既に熟年夫婦の域に達している。幼馴染の中で一番最初に結婚するだろうと予想され、その通りにはなったが、子を持つのは僕の方が早かった。もちろんのことながら、「結婚はない」と豪語していたのは僕であり、「家庭なんてまずねぇ」と言っていたのも僕である。三十路前に滑り込んでしまった。
 子供を抱いた幼馴染は、兎に角幸せそうだった。元来、彼は子供や動物が好きな人間であるため、アインと遊ぶ時も本気になって追い掛け回す性格である。そんな彼が子供を抱いた日には、目に入れられる程可愛い様子だった。自分の家族が増える喜びはやはり至福なのだろう。
 彼ら夫婦は似たような経歴を持っている。幼馴染は一時は完璧なドロップアウトをし、2回高校に通った後、推薦で有名私立大学に入学。元々優秀だった彼はその本領を発揮し、大学でも優秀だった様である。その後は日本一の営業会社に就職。その中でも新入社員代表を務める程に注目され、営業成績も抜群だった様だ。現在は転職し、ある意味日本で一番安定した大企業で働いている。
 箇条書きにすると順風満帆である。人生を箇条書きにすれば、彼のみならず、誰でもが順風満帆そうに思える。しかし事実はそんな単純ではないはずだ。いくつもの選択肢の結果が現在である。彼は迷うことがあったのだろうか。「君がいなければ、僕は死んでいた」と僕に宛てて書いた手紙が誇張でなければ、一時の迷いはその時だけだったと思う。それ以降、彼は人生に悩みはしても迷いはしなかったはずだ。曲がりくねった道でも、結局彼は自分の一本道を歩み続けたのだろう。
 良き伴侶に恵まれ、また新たな家族に恵まれ、そんな彼が過去を振り返ったとしても、そこに見えるのはただの真直ぐな道でしかないのだろう。人生に迷い続けることと、悩むことでは本質的に違う。選択肢さえも明確にできない程に人生に迷うことなく、今在る自分を肯定し続ける彼が、相変わらず僕の幼馴染で在ることに多謝である。
 これからはユニットが家族になるが、初めて尽くしで新鮮だろう。初めてのクリスマス。初めての年末年始。良い年を。そして来年もまた同じ様な挨拶ができることを楽しみに。