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最近は写真日記。

責任感と時給の関係とは如何に(フィクションです)

 僕が今の会社で派遣だった時の時給は1,500円である。それからまだ1年も経っていないのだが、派遣の時と現在の立場では同じ様なことをしているつもりだ。 同じ様なこと、とは同じ業務という意味ではない。僕にとってプロとは1,000円の仕事であれば等価の、10,000円であれば10,000円の仕事がきっちり出来る人間を示している。アマチュアは良くも悪くも金額に不相応な動きをする。例えば1,000円しか貰っていないのに、それ以上のサービスをして採算が取れなかったり、10,000円貰っていてもそれに見合わない仕事をしたり。
 派遣の時は時給に見合った仕事をしていたつもりだ。つまりは契約上できる限りの仕事と、それに対する責任と、契約内での仕事が時給に見合わず暇だった場合ちょっとした気遣いなどでバランスを取っていたつもりだ。今は正社員になって派遣とは違う契約条件で動き、業務内容もまるで違う内容になり、それに見合うだけの仕事をしているつもりだが、他の同部署の正社員に比べればやり過ぎている感じは否めない。というのも僕の部署では派遣と正社員の業務内容の棲み分けがしっかりしていて、余程のことが無い限り、正社員が派遣の仕事に手を出さないということになっている。
 僕が派遣だった当初同僚派遣達は少人数だった(現在は13人)。4〜6人という数で、チームというよりはスタンドアロンコンプレックス、もしくは個別の11人という感じの動きをしていた。それぞれに主体性があり、それぞれにしっかりと責任感があった。何より業務は並列化されており、時給に関しても交通費程度の差しかなかった。その後僕が正社員になり責任は全て僕が負うことになり、新たな人員を採用することになった。その際新たな派遣会社を採用することになったが、スタート時給が1,650円と元々の派遣会社に比べれば雲泥の差がついてしまった。うちの会社から派遣会社に支払われている元金は同一だが、派遣会社各社によりマージンの割合が違い、スタッフの手元にいく賃金に開きが出てしまうのである。自由競争があるために良くも悪くも、こちらからはそこまで介入できない。言ってしまえば、支払っている元金が同じ以上、そこまで気にする必要はないのだが。
 スタッフの面接をし、採用決定をしているのは僕なのだが、やはりスタート時給が1,650円となると、自分の派遣時代を思い出してしまう。「昔はなぁ」と遠い目をして過去の苦労話をしたがる老人の気持ちがわかるというわけではないが、時給で150円も違えば、月に5万以上の差がつく。その差を埋める程の働きを期待してしまうのはエゴなのだろうか。
 もし未だに僕が派遣だったら、と考える。以前「そこまで時給が違うんであれば、私たちより仕事ができて当然でしょう?何も教える必要もない位、全てを任せられる位に仕事をしてもらわないと割に合わない」と抗議した派遣さんがいた。今その人は既に退職してしまっているのだが、横暴とは言え、一理あるとも思えた。同じ立場であれば、過去の話ではなく、未だに現在である。実際未だに1,500円で同じ業務に取り組んでいる人もいるし、1,600円の人もいる。幸いキャリアのある人間は1,650円に時給アップが望めたのだが、それでもその交渉がスムーズにいったわけではなかった。
 何より僕が正社員になったことで責任の引受先は全て僕になり、派遣は基本的に表面的な責任を負わなくて良い体制に変化した。結果的にスタンドアロンコンプレックスであった集まりは、トップダウン的チームの傾向を持つようになった。正確にはそれまでのスタンドアロンと、後に入ってきたチーム的集まりの混合といったところだろうか。要するに後発のチーム的人員は、僕じゃなくてもスタンドアロンの人間に指示を待つ状態になることが多いのである。
 スタンドアロンが組織化された一番の要因は正社員という情報の一元化故だろうが、僕が正社員になってから採用された派遣達の責任感は以前の派遣に比べると低下している。責任感を視野に置換しても良いだろう。具体的な例を示せば、スタンドアロンで動いていた人間がその責任感故か、「派遣だから〜はいいでしょう」という雇用形態で言い訳をする事は稀だったが、後に入って来たスタッフの多くが「派遣なのに、やるんですか?」という質問が多くなった。以前他部署で派遣でありながら正社員以上の働きをする人間のことを書いたが、その意識の差はどちらかと言えば同じ場に責任の引受手がいるかいないかではなく、「賃金分は働きます」というプロ意識から来ている様に感じるのである。
 視点を変えてみる。人を増やした根本的要因は3つある。売上が上がったこと、システムが変わること、それに伴いベテラン派遣が減ることである。そして僕は正社員となり「派遣と同じ仕事はするな」と言われ、リーダーとなり「いなくても現場がまわる体制作りを」と忠告されている。要するに人を増やし、ルーティンワークに関しては僕が派遣だった頃の様に、派遣のみでまわせる様にしろ、という上からのお達しである。そして正社員の仕事は、そのバランスと管理を主な業務として任されており、どちらかというと居ても居なくても日々の業務に支障をきたさない程度の存在感でいれば良いということである。暗に異動がある、ということでもあるのだが。
 責任感は何処までか、という視点も必要だろう。多分社会人(僕は社会人1年目なので、他の人間の方が社会人歴が長いのだが)の常識で考えれば、タスクが課せられているにも関わらず帰ることだけを主張し続けるのはやはり問題のある言動だろう。そのタスクを終わらせなければ業務は滞り、結果的に自身の契約や賃金も危うくなるという意識がない。自己中心的な個人主義の行く末は良くて現状維持、ほとんどが堕落する。逆に自分を活かすための個人主義であれば、全体も繁栄し、自身の安定も増すことになる。またその場を取り繕う仕事だけして、結果的に他人に迷惑をかけっぱなしであれば、やはり鈍いと捉えられても仕方がないのだろう。ちなみに責任感だけでは仕事はできないのは当たり前で、結果も付いて来ないと話にならず、残念ながらそういう方は12月末で1人契約を終了させて頂いた。
 また新しく入った派遣視点ではどうだろうか。もし自分がその立場であれば、知ったこっちゃない、と思うだろう。払っているのは派遣会社で、他の派遣会社との時給が違ったところで関係のない話である。おまけに派遣なのだから、言われたことだけやれば良いでしょう、というのが当たり前だろうか。責任とか人付き合いが面倒だから派遣なんですけれど、も尤もな理由だと思う。
 話を時給に戻す。現実的に考えて今と同じ様な仕事、環境で、1,650円という職場は、今僕がいる地域で探すのは困難だろう。どちらかと言えばそれ以上に時給アップを望めない額でもある。しかし1,500円であれば頑張り次第で、時給アップが望める。そのモチベーションの有り様が時給に起因するのであれば、最初から高時給というのは、被雇用者にとっては嬉しいかもしれないが、雇用主からすると扱い難いのかもしれない。また高時給であれば次の応募者が集まり易いのは確かだが、経験者が育たないのである。
 以上のことを踏まえて考慮すると、要するに現状の責任は僕にある、ということになる。管理能力不足、ということになるのだろうか。基本的には「好きにして下さい」と各々の判断に任せていたが、しっかり「管理して下さい」と釘を刺されても良い頃ではある。一定のフレームを設定し、管理をするべき時期が来るのかもしれない。
 並列化されている中でムードメーカー的な役まわりは得意だと思っているが、立場が少しでもずれると、立ち回れなくなる。要するに怒れない、というのが僕のウィークポイントだ。怒鳴るべきなのか、淡々と注意するべきなのか、怒り慣れていない。注意はできても、怒ることができないのは、プライベートでも同じなので、仕事に関しては、仕事だと割り切って怒る顔でも作るべきなのだろう。体臭がキツい人間に「匂うので気遣いを」と注意した時の窮屈さよりは、業務上のことをしっかりと怒る方がまだ上手くできそうな気がする。
 僕は全くもって管理職が向いていないと思う。いちいち手を出してしまうし、自分がやりがたってしまう。それではダメなのだ。何もしない、できない奴だと思われることが管理職の醍醐味なのだろう。そしてある一面においては煙たがられるくらいの存在でなければならないのだろう。いつまで続くかわからないが、僕の業務はそういうことなんだと自分に言い聞かせながら、その日が来るまでやっていけたらと思う。要するに時給と派遣の責任感の相関関係は薄いが、時給を高く支払っている分、管理職の責任が重くなる、ということなのである。