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最近は写真日記。

親となるのを、ためらう

404 Blog Not Found 38歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたいたった1つのこと

こうして見ると、22歳の自分にあえて言うまでないという感じもします。というか、22歳の時に驚くほど今の基礎ができているのだなと苦笑してしまいます。私の似顔絵は23歳の時に描いていただいたものですが、今と違うのは財産と白髪の量だけかい、という気すらします。

しかし、当時と今と徹底的に変わった事があります。それが、家族の存在。なので今の私が22歳の私に一つだけ言うとしたら、以下となります。

親となるのを、ためらうな

私が親となったのは、29歳の時。しかし現在の妻とは24歳の時には同棲していましたし、26歳の時には籍を入れていました。かれこれ5年も待たせたことになります。そして同年輩の方を見ると、子どもを早く作った方々の方が、なんというか、「成長」が速いように思われるのです。いわば私は「親学校」への入学を5年もためらっていたわけです。

親になると、自由が失われるという意見があります。確かに相対的自由すなわち「自分の時間に対して、拘束される割合」は大きくなるでしょう。しかし親になることで、持てる力はそれ以上に増します。その力が大きくなるので、「絶対的自由」、すなわち「自分の手に届くものごとの範囲」は大きくなるのです。

そもそも社会だの会社だのという仕組みが、相対的自由にあえて縛りをかけることで、絶対的自由を増すための仕組みであることを考えれば、家庭という最も基礎的な社会を利用しない手はないのです。

 今まで1人でやってきた分、1人の不自由さを痛感してきた。1人だから自由だ、というのは結局のところ1人分の世界でしかない。自国で生活していれば、少しの不自由さに目を瞑りさえすれば、後の自由を享受できていたが、他国に出て生活すると、その基盤の均衡は崩れ、1人故の不自由さが大きくなる。つまり端的に言えば個人での社会参加よりも、家族での社会参加の方がより自由度が上がる世界がそこにある。

 と以前書いた事があったが、相対的自由と絶対的自由という分類で説明できるものだと思った。