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最近は写真日記。

プールと花火、と北京五輪のまとまりのない話

 土曜日は一家で市民プールに。僕の生まれ育った場所で市民プールと言えば、ゴミ処理場に隣接された屋内温水プールを示していたけれど、さいたまの市民プール(沢山あるそうなんだが)は規模が違った。まず競泳用も屋外である。でかいウォーターすべり台が2つもある(一つは直線的、もう一つはスパイラル式)。流れるプールと波のプールがある。何よりも広く、プール脇には簡易屋台が出ていた。おまけに土曜日だというのに、そこまで混雑していない。
 脱衣所で着替え、ジュニアたちをプールに慣れさせる。以前江ノ島に行ったときには、海を怖がってしまってまるでだめだったので、とりあえず浅い場所で水遊びをさせてみる。案の定、最初は嫌がっていたのだが、数分で水に慣れて勝手に遊びだした。しかも予想外に楽しんでいる。その内に流れるプールにも興味を示し、「こっち」と指さして僕らを誘導する。
 結局流れるプールや子供用のプール、波プールで遊び尽くす。おまけに僕は小中学生が並ぶすべり台に参加し、「なんでオヤジが?」みたいな顔をされながら、すべり台を一人で滑ってみたりした。そのまま調子にのって、子供用のプールに設置されたすべり台にジュニアを乗せたら、すっころんで凄い早さでプールに沈んでいった。何が起こったかも把握できていないジュニアは水の中で目を見開いて、大の字で浮かんできた。つかみ起こすと、号泣することもなく「こあい(怖い)」とすべり台を指さし、それ以降は近寄りもしなかった。
 午前中いっぱいで上がり、買い物に。途中で立ち寄ったイオンでヤワラちゃん(死語か)の試合を観戦。準決勝まで勝ち上がったところまでは確認できたが、「金メダルだろ」と思いこみその後はスルー。ちなみに買い物はポータブルナビで、車屋さんとか電機屋さんをまわって実機を触って、商品選び。
 帰宅後ヤワラちゃんの結果が銅メダルと知り、なぜ負けたのかが気になった。何度も流されるリプレイを見て違和感を感じたが、一言でそれを表現すれば日本の柔道はやはり弱くなったんだ、という実感だった。ただ絶対的に弱くなったわけではなく、世界のレベルが上がったという、相対的な強弱である。おまけにアウェー(日本以外で日本人が柔道をすればどこもアウェーだろう)となれば、審判の評価も厳しくなる。その中で、柔道は審判さえも黙らせられる一本が取れないと、今後日本はどんどん世界の中でランクを落としていくことになるのだろう。つまりは判定に持ち込まれたら負け、という気持ちでいかない限り、メダルは遠のく可能性が高い。ある意味ボクシングに近いのだろう。
 次の日曜日は奥さんの実家で花火。最初からスケジュールしていたわけではなかったが、アインの散歩後、サッカーを見て、内柴の試合を見ていたら遅くなってしまったので、宅配ピザを取ることになった。その待ち時間に手持ち花火を楽しむ。手持ち花火なんて小学校以来の様な気がする。ジュニアたちにとっては初めての経験で物珍しそうにしていて、おまけに家族なんて単位で花火を楽しんでいる自分はきっと幸せまっただ中なんだろうな、と庭を走り回るアインを感慨深く見てしまった。海を怖がるジュニアたちは、火に対しては何の抵抗もなくて、動物的には逆だろうと思った。
 そしてまたまたオリンピックの話。サッカーは後半10分過ぎから見たのだが、酷い仕上がりだった。まず何より予選リーグ一勝もできないチームはここ最近では見かけない(最終戦が残っているが、今の日本代表では余程の事がない限り難しいだろう)。個人プレーでは確かにレベルが上がっているのだろう。が、結果的に点数に結び付かないプレーでは意味がない。何よりもチームプレーが見られなかったのが残念である。内柴に関しては「親父ですから、親父の仕事をしました」という言葉が全てだった気がする。もしサッカー五輪代表全員が、内柴と同じ様な意識であれば、またプレーの幅は違った様な気がするが、精神論だけでもどうにもならないのがスポーツの醍醐味ではある。
 北京五輪は気にしている様で気にしていない。気にしていない様で気にしている感じである。開催地が気になる部分ではあるし、日本代表が把握できないという理由もある。帰宅後にBSで米国対中国のバスケを放送していたが、そちらの方が面白かった。NBAスタープレイヤーが集まり、米国代表として試合をするのは五輪くらいしかないだろう。おまけに前半は中国も善戦していて、面白い試合だった。というわけでサッカーも次で最終試合になるので、それ以降の個人的な楽しみはバスケだけになってしまうのである。
 もう一つ五輪に付け加えるとすれば、裏側で始まったグルジア紛争。軍事介入のロシアに感じるのは再統合・吸収の意志だけで、米国的な「祖国から遠い戦争」とは違う気持ち悪さを感じる。北京五輪のオープニングセレモニーで中国が国威を示したように、ロシアは敢えて暴力をもってその存在を全世界にアピールしたように感じるのだ。