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最近は写真日記。

本質的暴力と創始的暴力

あらゆる社会制度の発生の起源には人間の暴力がある。暴力はなぜ発生するのであろうか。それは、人間欲望の模倣的性質から生じる。つまり欲望とは自立的に存在しているのではなく、つねに他人からの借り物であり、第三者により媒介されている。それゆえ、ある主体にとって他者の欲望は模倣の対象であると同時に、競争相手=障害でもある。この相互に模倣しあう競争が自己と他者との区別を消し去り、暴力を感染させ無秩序と混沌を広める。
これをジラールは「本質的暴力」とよび、それに対して、差異を生み、秩序を打ち立てる暴力を「創始的暴力」と呼ぶ。ある社会が本質的暴力により敵対や無秩序が蔓延したとき、個々に分散した暴力をただ一人の犠牲者に集中させ、「満場一致の暴力」によって差異を算出し、社会の秩序を回復させる。それ故、社会的制度は欲望の暴力を規制し、秩序を創り出すと同時に、暴力を伝導してゆく回路でもあるため、コンフリクトが激化すると諸制度そのものを変えざるを得なくなるのである。つまり、制度による調整そのものが一時的であり、可変的である。

構造主義新古典派とは異なって社会を実体に還元しない。構造主義によれば、社会とは実体ではなく、言語として構造化されたシステムであり、規則、規範といった差異化のシステムから成立している。これに対してアグリエッタは差異の発生の過程を捉え、模倣競争による差異の消滅と「満場一致の暴力」による差異の算出という「制度の両義性」概念によって、差異化の論理を発生論の視点から捉え返したのである。

成長体制が危機に陥ると物価スライド制の果たす役割が変質し、逆にコンフリクトを波及させる手段になる。この制度が購買力を上昇させたいという社会構成員の見込みを維持する手段に変質すれば、それはインフレーションを波及させる協力な媒体となる。インフレーションとは紛争が感染し波及してゆく過程であり、そこでは経済諸主体が相互に一層対立する。インフレをめぐる対立が激化してくると、直接的対立を避ける満場一致の暴力により中央銀行や国家をスケープゴートにし、経済主体は私的な紛争の暴力を認識しないようにする。

佐々木崇暉「市場経済と調整原理」