apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

ミスマッチどころかロスジェネ、派遣社員で結婚→子供のオレ

派遣切り「お助け」求人 どこも「応募は意外に少ない」

「ほとんどの人が再び、製造業で働きたいと望んでいます。その一方で、介護や接客業では以前から人手が足りていませんが、我々は『職業選択の自由』を大前提として紹介しているので、希望しない人には勧められません。うまくいきませんね」

 で、慣用句の様に「雇用のミスマッチをどう解決するか」で終わってるわけなんだけれども、そのミスマッチがどういうものかわかってますか?フォーディズムからポストフォーディズム(アフターフォーディズム)の文脈で語ると意外とすんなり落ち着く話で、要するに労働の質から雇用環境の変化で起こるミスマッチだということなんですよ。90年代後半の失業傾向だと、「仕事がない」んですよ、本当に。だけど、今は「仕事があっても条件が合わない」んです。最もたる例が「勤務時間と休日」なんだろうけれども、労働そのもののスキルが問題ではなくて、雇用者側が提示する条件がミスマッチなわけです。
 フォーディズム的に語れば労働者はあくまでも「被雇用者」であり、契約に基づいた労働に使役していれば、結果的に賃金も契約通りに増えたわけです。雇用側は大量に労働者を雇い、結果的に消費者に変えた。つまり労働者はずっと労働者でいられた。労働者としての「スキル」が明確であった、とも換言できるでしょう。
 大量生産・大量消費時代が過ぎ、グローバルネットワーク社会は労働者をただの労働者として留めてはくれなかった。新たに知識労働者という「労働市場」を開拓し、雇用契約の代わりに知識サービス契約(知識労働の商品化)を行い、純然たる被雇用者ではなく「半自営業」的な労働者を成立させるわけです。結果的に「24時間働けますか」という環境を創り出し、生活と労働の境界が希薄になり続けるのです。具体的に言えば労働者がその契約に乗っ取って履行するべき労働は、「労働時間」ではなく、「専門的サービス」だと考えられます。それがスタンダードになれば、物質生産・製造業の労働は効率が求められ労働市場としての分母が縮小していくことは当然と言えるでしょう。
 ミスマッチの原因を挙げるならば、IT化やネットワーク社会、自由経済主義とグローバル経済、それに準じた教育体制の欠如(予想を上回る速度でネットワーク社会が形成されたのかもしれないが)と、労働者側の「雇われる」為のスキル不足などなど、そこら辺で騒がれていることは何でも当てはまるでしょう。
 その中で僕が一つ言及するとすれば、話の流れ上、やはり労働者側の空気読み力不足なんではないだろうか、と思える。ここからは自分語りが入る上に、安直な自己責任論に貶めたくはないのだが、フォーディズム的労働に使役し続けることで描ける未来に期待し過ぎた結果だろう。ちなみに僕もチャイナの先輩に「ハム1枚、レタス2枚ね、わかた?」と言われながら、コンビニに並ぶサンドウィッチをベルトコンベア上で組み立てていた時代もあったし、運送業の日雇いで、良くわかんないもの運ばされたこともあった(人とか)わけだけれども、明らかに先が見えなかったわけです。そんなんで自分の未来を形成する気にならなかった、という「感情」がモチベーションとなり、労働市場においてある程度需要のあるスキルなんかも身につけたわけです。といっても、あくまでも自分が望む未来の自分の為のスキルであって、労働市場への迎合ではない、ということは周知の事実なわけで。要するに自分一人で世界を生きていくには何が必要なのか、をつきつめた結果でもあって、仕事なんていくらでもあるというオプティミズムに立っていたわけです。
 確かに今の雇用状況は厳しい。労働者が平均以上のスキルを持っていても企業の経営上雇用できない局面になってきている。が、今と昨年の状況はまた違うのである。今はある程度「専門的」な人間さえも雇用調整せざるを得ない状況になってきている様だが、昨年下期に行われた製造業での大幅な雇用削減はある意味「代替が効く」労働力の調整でもある。言うなればポストフォーディズムとしてのトヨティズムは、労働者に専門的なアビリティやスキルを望まなくても、平均的な品質と平均的な効率を上げることが可能だったわけである。つまりは労働者側からすれば「私がいなくなったら、会社はまわらないですよ」という意識を持ち得るが、実際は研修経費に手を入れれば誰でもを代替可能とさせる労働システムだったわけでもある。
 そう考えた時、自動車業界に牽引されてきた製造業や鉄工業に関して原因を追及するとすれば、労働者さえも製造ラインの一部として、交換可能な部品として成立させてしまえるほどにシステム化された労働こそが、今の派遣村を誕生させたと捉えられるのではないだろうか。
 では今後それら製造業が復興してきた時にどう改善するべきなのか、それが問題でもある。まず第1に派遣村で職業技能校を開くべきだ。ただで派遣村で生活させるのではなく、技能習得の結果として生活をバックアップするべきである。結果的に労働力をベースアップすることになり、それがスタンダード化されれば、働きたい失業者に対して「ただで失業保険」を提供するのではなく、同様に技能も提供することも可能となるのではないだろうか。
 また正社員の特権化はいち早く解消するべきである。僕も派遣→正社員となったが、給与以外の面で、正社員はやはり優遇されていると感じる。その事に関しては幾度も言及してきたので、触れないでおくが、文頭同様にj-castの記事を引用させてもらって最後としたいのである。
「正社員の雇用保護は減らすべき」 「封印」されたOECD報告書

(1)雇用の柔軟性を高める目的で(企業が)非正規労働者を雇う動機を少なくするため、正規労働者に対する雇用保護を減らす
(2)非正規労働者のコスト面での利点を減らすために、非正規労働者に対する社会保障の適用範囲を広げる
(3)人材育成や、非正規労働者の雇用可能性を高める

 何様だ、というつっこみはスルーで。