apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

セカイに一つだけの花

花って買わなきゃ手に入らないものなの?
人に売る分まで作らなきゃいけないもんなの?
あなたはものごとは買わなきゃ手に入らないものだと思っているんじゃないの?
そのためには、個性でも何でも売って、必要な金を手に入れなきゃいけないと思ってるんじゃないの?
違うよ、全然違うよ!
ものごとは、自作できるんだよ。
いや、自作するものなんだよ。
売っているものなんて、その余り物にすぎない。
「お金で買えないものはない」?うん、売ってればね。
これだけ何でも売っていれば、確かに「あなたが欲しいもの」はすべて「売っているもの」の中に入ってしまうのかも知れない。もしかして資本主義の世の中における「没個性度」は、欲しいものに対する買えるものの比率で計れるかも知れない。

使わない個性は、要らない個性。より。
 「売っているものなんて、その余り物にすぎない」は名言だと思う。僕は相変わらず快楽をどれだけ知っているかが指標だ。金で買える快楽で我慢できる人間はそこまでしかない。発明と発見の快楽に比べれば、結局どれもこれもただの消費物でしかないのだ。個性、プライスレス。でも、個性っていう概念はあんまり信じていないけれど、資本主義において同質価値観の上に乗っけられたら、「個性が必要」という強迫観念に迫られるのも仕方があるまい。
 そもそもが同質じゃない。そもそもが違う。資本主義は人を平均化するための方法ではなく、人と人との交流を体系付けるための手法でしかない。主義に縛られた時点で、誰も彼も同じなんだろう。だから個性なんてものはバベルみたいなものなんだ。言葉の違いが人との違い。自分の言葉で話している以上、それは個性の現れなんだと思えば下手な個性を積み上げなくて済むのではないだろうか。そこから「本当に自分の言葉なのか」と自分を疑えた時、個性はお金で買えないものになるのだ。