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apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

Everything(It's you)

・ほんとは親や親戚や、これからできるかも知れない自分の家族の可能性とか全部投げ捨てて、今すぐ、自分の身一つでイタリアに行って、発掘するべき。それは分かってる。でも、家庭の幸せも捨てられない。

・年をとると言うのは、しがらみをしょって行くことなんだよなと正直悩むよ。

・10代でイタリアに行っておくべきだったんだ。でも過去を振り返ってもしょうがないし、すべてのしがらみを切り捨てて本懐を遂げようとするほど悟りきってもいない今の僕は、シュリーマン伊能忠敬のように50過ぎでたどり着ければいいのかもしれないという考えにゆれている。

・悩んでても何も進まないので、一方でMBAという現状維持と展開を探り、もう一方でイタリア語を教えることで本来の目標を掘り下げようとしてるんだけどね。自己分裂しそうだよな。

 僕の悩みとかぶるのであって、でも実際は真逆でもある。彼は研究において僕の一歩先を行っている。相対的に僕にアドバンテージがあるとすれば、確固たるホームがあるということ。

夢追い人は旅路の果てで一体何を手にするんだろ
嘘や矛盾を両手に抱え「それも人だよ」と悟れるの?

 「愛する人を得る」か「自分の道に進む」か、で迷った時もあった。実際今でもどちらが真に幸せなのかわからないが、僕は二兎を追うことにした。優先順位は愛が先だった。理由は簡単である。自分の道は自分でコントロールできる。愛はコントロール不可能なものだと思っている(ロマン的かもしれないけれど、それでこその愛だと思う)。
 ただ主体的に、例えば婚活の様に愛を求めていたわけでもない。どちらかと言えば当時は「そういうものがあったら良い」と期待する程度で、結局は「自分の道」を進んでいた。一つ決めていた事は、自分が人を愛することができたら、それもまた「自分の道」だと受け入れる、ということである。
 何かを犠牲にしている間は、自分の力不足である。何かを犠牲にしないとできない様な事物は、結果的に自分に返ってくるのだろう。「他人を幸せにできないで、自分を幸せにはできない」とは良く聞く言い回しである。自分だけで成功した、という思い上がりが足下をすくうのだ。
 理化学系は案外と両立ができる。id:KEN_NAITOはパーフェクトだと思うが、社会科学系は現実的に考えて難しい。というよりも社会科学に携わる以上、人間の生活に根付いている。童貞が性行為分析と調査をした場合、その結果は面白いかもしれないが残念ながら細部を描くことはできない(童貞が分析・調査することによるメリットはあるが)。同様に子供を持たない人間が少子化対策法案を提出した所で、データ上の話しに始終し、現実を反映しているとは言い難い。
 酷く幼稚な例だと思う。が、言いたいことは「経験しないとわからない」とか「客観によれば科学だ」とか「観察者の背景は対象には影響を及ぼさない」とか、そういうことを言いたいのではない。何よりも例に出した様な研究・調査が「無駄だ」と言いたいわけでもない。
 もっと抽象的なものである。文学的だと換言しても良い。視点の広がりや深度、セックスの温度や臭いや感度や濡れ具合とか、子供の成長とかベビーカーの押し方とか、押すことによって返ってくる振動とか、経験しなくても死なないし研究はできるけれど、そういったことを通して感じられるユーモアを無視しては、人間の生活をしっかりと捉えることはできないんじゃないのか。
 彼は間違っていない。

・ほんとは親や親戚や、これからできるかも知れない自分の家族の可能性とか全部投げ捨てて、今すぐ、自分の身一つでイタリアに行って、発掘するべき。それは分かってる。でも、家庭の幸せも捨てられない。

 その葛藤を捨てたらダメなんだ。その矛盾を包括できる人間だから先に進めるんだ。これは投影かもしれない。でも、僕よりは研究面において明らかなアドバンテージがあるから大丈夫だ。

・10代でイタリアに行っておくべきだったんだ。

 と彼が思う以上に、僕はしっかりと大学受験をしておくべきだったんだと、いつも反省している。もちろん実際はいつ行こうが変わらない。10代で彼がイタリアに行っても、今の様にできるかは疑問だ。受け入れるべきは、そう思える「現在」だ。過去を振り返ることができる、というのは成長だと思う。矛盾しながら自分の道を進めば、いつか愛する人に出会える。
 人は出会うものだ。ただし、探してはいけない。自分の道がどこかで他人と交差する。その時に手を掴めば良い。かといって継続し交差し続ける保証はどこにもない。だからこそその手を離さない様に、その手が離れないように、自分の道を進むべきだ。
 同じ葛藤と矛盾を抱えている人間の言葉はあまり意味がないかもしれない。ほとんど自己肯定にしかならないかもしれない。それでもコメントの代わりに、伝えておこうと思う。僕は僕のやり方で、君は君のやり方で到達できれば良いじゃないか。