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apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

スマートフォンとケータイ

 ケータイと共に育ってきた女子大生がiPhoneに思うことを読んで、以前から思っていたことを、騒ぎが落ち着いた今、つらつらと。
 新しい文化(スマートフォン)が輸入されると、在来の文化(ケータイ)は駆逐される傾向にある。生態系が最たる例で、在来環境は、外来種が入る事により、在来種の多くが絶滅の危機に瀕してしまう(と言われている)。その逆もしかり、ではあるのだけれど、何かしらの衝突が起こることは確かではある。
 スマートフォンiPhone、もしくはiPhone対ケータイみたいな図式が良く見られるけれども、iPhoneはあくまでもスマートフォンの一種であって、ケータイは携帯電話の派生種と考えれば、全く違う分類ということが明確になるんではなかろうか。要するに、大分類が違う、というか、属まで同じで種が違うとか、そういった類なのである。
 例えばポケベル。科までは同じだろう(音声の有無がそれ以降の分類の差と捉えられる)。コミュニケーションデバイスは、ポケベル→PHS→携帯電話という変遷を辿った様に見えるが、分類は並行して存在していて、携帯電話なんかは良くネタで使われる様な肩からかけるタイプのモノがポケベル時代からあった。同様に、携帯電話と共にPHSとのシェア争いがあった。時が経って見て結果は一目瞭然なのだけれど、生き残っているのは携帯電話である。で、ポケベルやPHSが絶滅したか、と言えばそういう訳ではなくて、しっかりとマーケット(環境)を持っている。嘘だと感じる方は、東京テレメッセージググレカス。商品名はマジックメールだそうだ。PHSに関してはテレメトリングとかで技術が活用されているらしい。
 冒頭の記事を読む限り、要するに以上の要件を満たせばiPhoneに問題はない、ということになる。その逆を考える。日本の携帯電話、特にガラケーと言われる端末が「輸出」された場合、生き残れるのか否か。残念ながらマーケットは限られている。僕が数年住んだイタリアでもパナソニックNECなどの端末はあったが、シェアは低く、ソニーエリクソンサムスンモトローラノキアの方がスタンダードだった。要するに日本という環境に適応し「過ぎた」高機能端末は汎用性に欠けた、という結論が無難だろう。
 外来種に浸食され、輸出という逃げ道が無くなれば、必然的に生存環境が縮小される。残った環境に「適応」できるかできないか(適応ももちろん結果論でしかないが)。ここまで話題になる、産業界がその方向性に右往左往している、という状況を見る限り今後どちらかが淘汰されることは明確だろうが、どちらかが絶滅する、という問題でもないのである。
 つまるところ「今」議論に挙げられている、という事実が今後の大きな変化を暗示しているのである。中には騒ぐほどのことでもない、というものもあるが、黒船からすれば「未開は文明化されなければならない」という哲学が働いている。国内の二極対立、国外のスタンダード、二つの要因は開国への十分な布石となる。
 携帯電話は、新聞紙くらいには残るだろう。スマートフォン電子書籍に比例した勃興をするだろう。紙メディアじゃないと読まない人、ガラケーじゃないと使わない人、どちらも極端というポジショニングになり、メインマーケットはスマートフォンになる。ちょんまげとか刀とか、着物とか袴とか、現在消えてはいないけれどメインではない。西洋文化に融合し、混在し、新たなストリームを生み出す。日本の携帯電話とスマートフォンは、今後融合するだろうけれど、それは今ある携帯電話とかスマートフォンと同じ分類には並んでも、種は違う扱いになる。
 とにもかくにも同時代的にそんなものを語ろうとしたって、結局「好きか嫌いか」に収束する。まぁだからそれで良いんじゃないか。セガは面白かったし、PCエンジンやロムロムも良かった。あんなにあったゲームハードメーカーが、今ではSONY任天堂マイクロソフトかの選択肢しかなくなっている。セガNECもいないのである。