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最近は写真日記。

社会人4年目:「バカだから難しい話しは」というスルーは10代で消費しておけ

 2007年4月1日に29才にして初就職をして、丸3年が経過した。なぜ若者は3年で会社を辞めるのか、という前提条件は一応クリアできそうである。つまりは平穏無事に、ではないが4年目を迎えそうである。
 派遣社員→正社員→リーダー→部署責任者←今ココ、という状況で4年目を迎えているわけだが、別段給料が増えているわけではない。「お金を稼ぐ」をモットーとして社会人をやっているのに、ボーナスが減っていて長期的な貯蓄に向かないのである。作業的にはあまり変化していない気がする。本部、と呼ばれるゼーレ的会議に当たり前の様に借り出され、プレゼンすることが増えた。自分が企画したものが地方のグループ会社で商品化されているという話しも聞いた。企画者は置いてきぼりである。企画・プレゼンのスキルばかり上がるのである。
 新卒で言えば、26才周辺に相当する社会人経験値である。ちなみにマスター出ならば28才、ドクター出ならば32才である。今の僕は何歳に見合った仕事をしているのだろうか。実年令は32才だが、間違いなく新卒8年目の人間とは違うのだろう。
 学生と社会人。下部構造は上部構造を規定するという意味では、学生が下部で、社会人は上部で当てはまっている。学ぶ姿勢を学生時代に培えなかった人間は、社会人になって学ぶ姿勢を学ぶことになる。それでも学ぶことがわからない人間は、そのまま上部構造を規定され続ける。たったそれだけの事である。要するに「本人がそれで良いならば」という自己責任論になるのだが、最近の自己責任論批判の風潮だと、社会福祉的に「学ぶ姿勢を教育しなかった」と批判される可能性はある。特にゆとり世代がそのターゲットになりそうだが、ゆとり世代ゆとり世代の切れ味があるんだと、僕は思っていて、団塊世代団塊ジュニア世代→ゆとり世代というマスコミが好きそうな構図には興味がないのである。
 まぁ要するに本来的な自己責任論は、「学ぶ自由」を行使しなかった人間に向けられるものであって、学ぶ事によって乗り越えられる様々な可能性を、不可能にしているだけなのである。自由だと思っていたのに、結果的に不自由になる理屈である。
 孫正義の講演を読んだ。思想は嫌いじゃないけれど、やはりスティーブ・ジョブズの方が好きだ。何故か。孫正義にはお金の臭いしかしないからである。孫正義ピクサー的ビジネスを提起し、お金以外の部分で換言できれば好きになれる(もちろんジョブズピクサーは金儲けが目当てではあるが)。本人が楽しいと思えるビジネスで、他人をも楽しませることができるかどうか。そこがラインだろう、と思っている。