This is a weekend in the midsummer.:真夏の週末
飛行機ブンブン、とちびちびジュニアが歌った。
ピラニアかと思った。
イルカだって飛ぶのです。
やっぱり、じゃがりこだよなぁ、と。
乳歯が抜けそうな近頃。
ばぁあああああああああ。
ぐぇへっっっへえええ。
ジュニアにカメラを与えた結果、より目。
ジュニアはいつだって変顔。
動きすぎてブレブレ。
蔑ろのキティちゃん(背中)。
もう男に跨って。
いつだってスキは見せません。
基本はお下がりを着るのです。
窓際がスキ。
お気に入りの場所。
何て言うか、ただで取り放題だったので。
後どれくらい、こうして向き合えるか。
家族絵画。
ここは埼玉です
まず、地震・津波によって被害に遭われた方、亡くなられた方、心からご冥福をお祈りします。避難されている方、少ない物資の中、本当にみなさんの協力でなんとか凌いでいる状態だと思います。何もできずにいますが、一刻も早い復興を心から願っています。
毎日報道で明らかになっていく被害。被災地の方のメッセージ、本当は私たちがエールを送らなくてはならないのに、逆にエールを送られている気がします。みなさん「私たちはなんとか元気にやっています」と。本当に頭が下がる思いです。そんなこと感じているのは私だけではないはず。
そう思っていますが、ここさいたま市ではスーパーに物がありません。それどころか、奪い合う様。本当にたまたま食料がない方もいるはずです。本当にガス欠の方もいるはずです。本当にティッシュがない方がいるはずです。なぜ「自分」だけなのでしょうか?週末にしか車を出さない方、週末まで待ってガソリン補給して下さい。物資を配送しなくてはならないトラックのガスが足りません。ここは埼玉です、被害もないのにどこへ逃げるつもりですか?
明日の子ども達のお弁当の材料がないのでスーパーに行きました。開店前に到着したのですが、中高年の行列。車が通る道路に並んでいたので、私はベビーカーに子ども二人で危ないので、列から外れて待っていました。オープンすると共に、我先に店内に入るおじさん・おばさん。私は列が全て入ってから店内に。納豆売り場の近くにはおばさんが納豆の奪い合い。カートで通路をふさぎ、買い物カゴで子どもの頭をぶつけ、「ほら、二つとったから!」といらない譲り合い。私は「子どもがいるんですけど!カゴ!!!」を激怒。でもおばさんは自分のことだとは思っていない。ムシ無視シカト。納豆、そんなに食べたいですか?毎日そんなに欲していますか?よく割引シールが貼られている納豆見ますけど。おかしいですね。そんなに納豆納豆なら割引シールなんて貼らないはず。子どもを突き飛ばしてまで納豆ほしいですか?そしてあれだけ立って並べるのになぜカートを使うのですか?店内が混んでいるのは一目瞭然でしょう。邪魔なんだよ。カゴ持てないなら持って帰れないでしょう。
本当に怒りでいっぱいです。おじさん、おばさん、少しは考えましょうよ。最近の若い者は・・・、って言える立場ではないですよ。私たちから見たら恥です。小さい子どもに譲れないなんて日本だけでしょう。理性を失って食料を蓄えなくてはいけない状況じゃないでしょう。被災地の人のことを考えたら恥ずかしいです。
そんな怒り狂ってる帰り道、1人のおばさんが「たいへんでしょう?3人もいて。買いたい物も買えないでしょう?これ、買えたからどうぞ」とお一人様2点までの菓子パンを2つ子ども達にくれました。その気持ち、本当に涙が出るほど嬉しかったです。こんなおばさんもいるんだなって。素敵です。余裕が感じられました。私も怒りを抑えて、冷静になろうと思いました。
33歳
気がつけばゾロ目である。15年前、僕はオーストラリアで年を重ねた。考古学をやると決心していた。10年前、僕は発掘現場にいた。5年前、僕はイタリアから帰国し結婚していた。
何とも駆け足だった。オーストラリアから15年も過ぎたとは実感できない。何も変わっていない、と感じている。成長していない、と表現するのが正解だろうか。勉強が足りない。覚えることが山ほどある。読まなければならない本が山ほどある。たった15年間で僕はいったい何を学んだろうか。少なくともイタリア語は学んだ。考古学もかじった。発掘が新聞記事になった。ビジネスマンとしてもどうにかやっていけそうだ。子供も授かることができた。胸毛も生えた(そう言えば胸毛が生え始めたのは15年前だった)。
こんな僕を見限らない人たちがいて、何と言って良いのかわからない。僕は考古学をやる、と決めているけれども、客観的に見て多分そんな能力は無さそうであって、実際実績もあったもんじゃない。反面、ビジネス面では実績?を積み上げることができているけれど、何ら考古学に返るものがなくてびっくりするのである。それでも、僕を信じてくれている(と勝手に思っている)人たちがいて、それが何よりの救いなのである。
現実逃避せずにやっています、というのが現在だとすれば、5年後、10年後、15年後はしっかり自分に応えてあげたいと思う。『人生最大の遅刻はなんですか?』というWeb上の質問に、『過去の自分との約束に、未だに遅刻している』と答えるしかなかった自分を認めたい。
考古学をやります。歴史に携わります。それがゾロ目の決意なんだけれど、一つ道が開けたのは、例えば経済や経営方面からのアプローチもできるだろ、と。何というか、簡単に言うと、日経新聞てそんな取材でできるのね、ああ、日常で言うところの経済ってそんなものね、と。だったら、通用するじゃないか、と思ってしまった自分がいて、考古学に戻るのに、そんなアプローチもあるのね、というのがきっとこの5年間の集大成なのだろう。
アカデミアで食っていくのは大変だ、というのは理解できたけれど、それは実力の所為じゃない、というのもある意味理解できた。いや、実力もあるけれど。問題は実力じゃなくて、構造だ。それと、世の中天才なんてそういないというのも、超大企業とかエリート官僚とかに会ってやっとわかった。みんな努力しているだけで、そっから先に行けないGood Player。id:KEN_NAITOとかkojiさんとか、id:laquilaの存在の希少性の再認識である。やはりスゴイのね、あなた達は、と。
なので、これからもよろしくお願い。想像通り30歳以降の人生は未知だったけれど、何とかやっている。道は迂回しているけれど、行き着く先は結局同じだと思っているから、その時に過去の自分との約束を守りたい。随分と遅刻することになるけれど、それでも必ず行くから。僕は、必ず行くから。
Auguri, 29° Compleanno.
Ne avevi 23 anni, quando ci siamo incontrati prima volta. Il tempo vola cosi presto, ma spero che ci sia una cosa non cambia mai.
Ancora solo 6 anni, ancora tanto tempo, spero.
Auguri, amore.