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最近は写真日記。

コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム

 早ければ今秋にも発足される東大のプログラム。その狙いはアニメやゲームの技術と知識に長けたプロデューサーを育成すること。予定では講師に鈴木敏夫押井守大友克洋などがあげられている。日本が国を挙げてそういった文化をバックアップしていこうというのは素晴らしい進展である。5年前では考えられなかった。国会議員は漫画やアニメが日本の文化であるはずが無いなどと言っていたのだから。
 しかし僕がこの記事を読んでまず最初に考えたのは、そういったアニメ、漫画、ゲームにまで学歴や官僚思考が蔓延するとしたら結果としてどうなるのか、ということだった。それは間違いなく腐敗するだろうが、文学と同等の位置を社会的に認知させることになるかもしれない。東大というブランドに講師は現役で、世界で名の売れた人間ばかり。集客率はあるし、この時期を逃せばそんなダブルネームの下で技術や知識を学ぶチャンスはない。
 最近ではエンドロールに、特にCG分野に多く見られる中国人、韓国人スタッフ。物質的資源だけでなく技術者までアジアに移行し、産業の空洞化はアニメにも見られ始めた。結果として日本では若手が育ちにくく、将来的には中国や韓国に先を越される可能性もある。そのための国家処置なのだろうが、僕としては方向性が間違っている気がしてならない。
 漫画家の場合、学歴に関係なく、売れている漫画家のアシスタントに着いたりして経験を磨き、その間にコネを作りながらデビューする。アニメであれば漫画が描けずにアニメーターになったり、今ではCG制作などもあるから職の幅が拡がっているがそれらも現場で育成される人材であることは変わりがない。ゲームのプログラミング、構成にしてもしかり。
 東大でプロデューサーが育成され、現場から遠ざかってしまう場合、若手の人材育成には逆効果なのではないか。文化として認めるのであればそれは商業としてではなく、他のリスペクトの仕方があっても良いとも思う。まずは東大がどのようにこのプログラムを構築し、人材を育成するのか見物である。