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最近は写真日記。

西尾維新と佐藤友哉

 メフィスト賞でデビューし、新時代の作家として代表される2人。どちらも1980年以降の生まれで、メフィスト賞投稿時は10代だった。西尾維新は、戯れ言シリーズの他に流水トリビュート、最近ではきみとぼくシリーズが出てるらしい。ちなみに戯れ言シリーズは次のネコソギラジカルで終了という噂。佐藤友哉は鏡家シリーズとクリスマステロルは読んでないので鏡シリーズなのかは不明。
 講談社のWEB連載でも二人は活躍。流れとして次に連載する作家は舞城王太郎か。以前書いたように雰囲気としては西尾維新がアップ系で、佐藤友哉はダウン系。どちらもライトノベル寄りで、ミステリーという枠組みにも入らないだろう。戯れ言シリーズは、クビキリサイクルクビシメロマンチストクビツリハイスクールサイコロジカルは読み、ヒトクイマジカルは途中まで。それとWEB連載の零崎双識の人間試験。佐藤友哉フリッカー式エナメルを塗った魂の比重水没ピアノとWEB連載の鏡姉妹の飛ぶ教室を読んだ。
 どちらも最初は面白かったし、勢いがあったけれど、最近の作品で気になることがある。それは西尾維新ではヒトクイマジカル佐藤友哉では鏡姉妹の飛ぶ教室で、どちらの作品にも共通して同様の場面が出てくることだ。そのシーンはまるでエヴァ葛城ミサト碇シンジを諭すような、台詞で言うなら「あんたはまだ生きてるんでしょ。しっかり生きて、それから死になさい」みたいな。
 これは二人の作家の年齢に関係しているのかもしれない。どちらも10代後半でデビューして初期の頃はその若さや苛立ちとかで怖さを知らずに文章が書けた。しかし執筆を重ねることによって自らも成長し、作品に対して距離を置くようになる。また作品の先にある読者を意識し、それ以上に自分の位置を認識し始める。そうすると今までのように文章が書けなくなって、それは逆に言葉の定義や使い方に敏感になって、そんな自分自身に戸惑いを感じ始める。それが結果として作品の中の台詞に現れてくる。
 これは本当にただの僕の深読みでどちらも狙ってそういうキャラを作っているのかもしれない。しかし80年代生まれということは95年放送のエヴァにはモロに被っているし影響を受けていないとは言い切れない。新時代の作家がエヴァを消費して生まれて来たのであれば、そのパーツを繋いで作品を作ることになるのだろうか。その点舞城王太郎は年齢が上で少し違う位置にいる。作風も明らかに違うし小説家としても成熟している。この二人の作家の方向性と舞城王太郎の位置が重なる場所が新時代の文学の行き着く先なのだろうか。