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最近は写真日記。

ベル・エポック:逢坂みえこ

 永遠の野原を読んだがのが高校の頃。一姫二太郎。あの話しは本当に好きだった。何よりも主人公が犬なのが良い。まっすぐにいこうに近いかもしれない。ベル・エポックは何年か前に映画化されたが、観ていない。11巻が50円で売られていたので購入。どうやら完結らしいが、きっと話しとしては9巻くらいで完結していたものだ。11巻では漫画編集者の話しばかり。高校の時につき合っていた彼女が、逢坂みえこを教えてくれたのだが、彼女もその後編集者に成った。
 ベル・エポック11巻の中で面白い会話があった。入社半年目の頃の自分を思い出して、女性編集者が、その当時つきあっていた学生の彼氏のことを新しい恋人に話し出す。
「お前の周りは大人の男ばっかなんだろう……。金持ってて……、経験豊かで……、俺とは違って……って」
「んで、「そんなことないわよ」ってあれこれ気ィ遣わにゃならんわけやね」
「そうなんですよ。デートのたびにぐったり疲れて」
「月曜に会社に出たらホッとすんのね」
「そーそー!」
 逢坂みえこを読み出したのが高校の頃だが、何年経ってもこういった現実観を失わないところが、今でも読める理由か。僕は万年学生なので、「強制される時間がないのであれば、もちろん暇なんでしょう?」なんて言われる。日本を出る前は*1、仕事をしてこその一人前なんだろうなんて思っていたが、帰国後は日本社会からまさしくドロップ・アウトしてしまった。イタリアに行って、完璧に日本の社会には適応できない身体に成ってしまった。
 「強制される時間」なんて人生にあるのか?それは結局好き好んで強制されているわけで、「暇なとき」*2に自分が何もやっていなかったからこそのつけだろう。もしくは「強制される時間」でしか自分を保てないのが日本人なのかもしれない。「暇である自分の時間」において学び続けることが最上の幸福だと思うが、日本ではやはり通じない。戦中のような貧困さ。人それぞれの価値観で生きていける自由があるのが現代のはずだが、まるでワイドショー並に叩かれる。今でも学生と社会人のハードルの意味がわからない*3。もう僕はそういった方々のコミュニティからはドロップ・アウトするしか方法はないのだろう。
 YO-KINGのきれいな水を思い出した。

空は遠く風も速い 僕はここで 君はそこさ
時は流れ僕は1人 庭を見つめ心が旅する

退屈を不幸と、間違えてしまわぬように
くだらないことで、いつまでも笑えますように
ほどほどのことなら誰でも許せますように

ベル・エポック (11) (ヤングユーコミックス)

*1:オーストラリア留学の時

*2:学生時代でも、自分の時間がある時でもよい

*3:通過儀礼としてであればわかるが、上位下位という考え方は受け入れ難い