apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

誰も知らない:Nobody Knows

 カンヌ国際映画祭主演男優賞を獲得した柳楽優弥。監督・脚本・編集・プロデューサーは是枝裕和。巣鴨子供置き去り事件を題材に作られているが、着想だけと考え方が良いかもしれない。現実に起こった事件は、映画よりも悲惨で、映画としての表現の枠を越えてしまう。
 僕は今までに映画館で泣いたことがなかった。自宅でビデオやLDを見ていても、ドラマでも泣くことが無かった。強いて言えば、小学校6年の時にみた北の国からで、ジュンが持っていた泥のついた2万円が盗まれたときに少し同調したくらいだ。
 しかしこの映画を見て映画館で涙を流してしまった。初めてのことだった。カメラワークは坦々としているし、彼らの日常風景を追っているだけだ。無理に意図的に何かを映し出そうとはしない。明:柳楽優弥を追うカメラ。12歳の明が背負っているものが坦々と写し出される。
 僕が同調したのは明の孤独である。弱音を吐かず、泣きもしない。母親を諭そうし、兄妹の面倒を見る。途中全てを投げ出そうとするも、結局「兄妹が離れ離れになって暮らすのはイヤだから」という言葉に帰る。決してしなかった万引きを、妹のために行う。誰にもあるような思春期の悩みや身体的な成長と、精神的な葛藤。その反面、早過ぎる現実に目を向けなければならない。守ってくれる者はおらず、守るべき者たちがいる。20過ぎて、結婚してまで家庭に問題があるのが日常的な現代日本で、それらを12歳が背負うにはあまりにも重過ぎるのだ。
 それでも彼は生と死をしっかりと受け止める。大人が逃げ出してしまう中で、子供たちがしっかりと現実に生きている。人が死ぬことを「可哀相」ではなく「気持ち悪い」と表現した是枝裕和は素晴らしい。泣けば済むというセンチメンタルは人の生死には向かない。大人の誰もが知らないのではなくて、大人の誰もがわかろうとしないことだ。誰も知らないのは彼らの戸籍問題や隠された生活でもなく、彼らが如何に人生を純粋に生きてそして死んでいるのか、誰も知らないだけだ。