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最近は写真日記。

犬の放任主義

 ペルージャを散歩していれば、嫌でも放し飼いの犬に出会う。道端には犬の糞がそこら辺に散乱していて、下を向いて歩かなければ、絶対に糞を踏むことになる。人通りが少ない通りでは逆に猫が多く、そういった場所でも糞だらけである。
 そんなペルージャにおいて、僕が住む区域は最も放し飼いの犬が多い所だろう。先週久しぶりに僕の家に来た友人が「ちょっと、あの道ヤバくない?唖然としたんだけれど…。だって、もう本当に足の踏み場も無いくらいに、糞だらけ。帰ろうかと思ったね」というくらいに、汚い。
 大学に行くにしても、ペルージャ外国人大学に向かうにしても、必ず放し飼いの犬に出会う。イタリアは、というよりヨーロッパではペットの権利がしっかりと認められている。犬はバスにも乗れるし、電車にも乗れる。バールにも入れるし、お店の中にも入って来れる。日本の様に庭で飼うというよりは、家の中で一緒に生活をするという意識の方が強いだろう。人間と犬との間のハードルが低いのだ。
 大学の掲示板では良く「犬貰って下さい」の貼り紙を見かけるし、バールに行けば犬の為の募金箱等もあったりする。ただ犬を飼う場合には、犬にタトゥーを入れるか、マイクロチップを埋め込み、個人情報を登録しなければならない。日本の年1回の狂犬病の注射よりも、義務づけられている予防注射は多い様だ。
 しかしペルージャでは学生が多いために、そういったルールは守られていない。また明らかにお金に困っていそうな人間が、大型犬を連れているのだ。そういった犬のほとんどはリードで繋がれていない。また散歩が面倒臭くなると、犬だけを外に放りだして1人で散歩に行かせる。結果的に事故に合う犬が多いらしく、後ろ脚を引き摺っている犬を良く目にする。
 日本では、人と犬の距離が遠過ぎる。犬は結局ペットという枠組みを出られずに、人間の生活からは遠ざけられている。最近のペットブームでようやくペット可のマンションが出始めているが、それでも日本の人口に比べれば少な過ぎる。バスにも電車にも乗れず、大型犬は自家用車で移動するしかない。小型犬にしてもキャリーに入れないと長距離の移動はできないのだ。
 躾に対する姿勢も違うのだろう。日本人は犬を甘やかす傾向にある。逆にイタリア人は犬に厳しい。自分の子供を叱る様に、大声で怒る。もちろんそれは好意あってこその躾なのだが、日本では自分の飼い犬が他人に飛びついたりしても「あらあら」で飼い主は知らんぷりなのだ。それではいつまで経っても日本で犬の権利が認められないだろう。
 イタリアの放任主義と、日本の放任主義。双方が融合すると、人と犬の街での生活が安定するはずだ。もちろんそれはどちらも責任の所在が対極にあるのだが、日本の放任主義は言い換えれば、事なかれ主義故の放任主義である。責任と覚悟が決定的に欠如しているのだ。