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最近は写真日記。

タンデム・ミラー:プラネテス

 帰国後始めてのプラネテス。この話で印象に残っているのは、ハチマキとタナベの会話。「話したいことが沢山あるんです。1人で全部決めちゃって。どうしてですか?」「俺のことだろ。お前に話してどうすんだよ。俺は俺、お前はお前だ」というところである。
 もちろん後々ハチマキは自分の宇宙の狭さに気づくわけだが、この前提が無いと、宇宙が拡がらない。中庸であるためには1度でも針が振り切れないとわからない。ゴウタマ・シッダルータがそうであったように、突き詰めてこそ、バランスの取り方がわかる。そんなことをしなくてもわかりますというのは真賀田四季並だろうが、彼女でさえ、様々なことを実践し突き詰めながらバランスを保っている。実際の所、精神と身体がリンクしてこその中庸なのかもしれない。
 この話でハチマキはその過程にある。そして未だに弦は張り切っていない。その証拠にハチマキはハキムを撃てない。ワイヤーアンカーは作中の中で「撃てない」象徴として扱われているようで、ハチマキがハキムを「撃てる」状態にある時にはしっかりと銃が握られている。つまりその時が来るまでハチマキは自己を追及しなければならない。その模索の先に、つまりは「外へ外へと向かえば、最後は中心に戻ってしまう」様に、中庸がある。そして「諦めて、動くことをやめてしまうと、その瞬間に消えてしまう」のだ。
 逆にタナベは後に自分の「愛」と向き合うことになるのだが、原作と違って、アニメ版ではタナベが「愛」に辿り着く過程も描かれている。どちらかと言うと、原作ではタナベには登場時から確固たる「愛」があったが、アニメ版では「愛」というイメージがあっても、登場時では捉え切れていない気がする。
 次回の暴露。ギガルト先生イベント後のハチマキの言葉が好きだ。ある意味、あの言葉がハチマキの到達点かもしれない。