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最近は写真日記。

書庫が欲しい

 将来自分で家を所有する様なことがあれば、絶対に書斎と書庫は欲しい。日本の実家の部屋は4.5畳、クローゼット、出窓にロフトである。ロフトの広さは2畳もないだろう。布団を敷いて少しスペースが空く程度である。部屋は本とガラクタと家電とPCと洋服で散乱している。4.5畳の部屋に大きな本棚が2つ。小さな本棚が1つ。それでも入り切らないので、床に直置きになっている。またロフトの空いたスペースも本と空気清浄機で埋まっている。これ以外に店の倉庫に、段ボール箱で20箱分以上の本がある。どれもこれも、もらい物ではなく、自ら購入して読んだものである。
 ちなみに本棚以外に何があるかと言うと、21型テレビに、17型ディスプレーが2台、タワー型PCが2台にノートPCが2台である。もちろんそれ以外にミニコンポもあれば、ラジカセもある。ビデオデッキは2台にLDが1台。ソファーが1つに、椅子が2つ。4.5畳にこれだけあれば、生活空間など無いに等しい。「ここは、何だ。何、ゲリラか何かなの?基地じゃねぇんだからさ」と言われる程、酷いのだ。
 その中で本は増えるばかりである。イタリア人の友人が購入した本に、買った日付と読んだ日付を書いていたが、僕にはそれは無理な話しである。ちょっと古本屋に行くにも、帰ってくる頃には何故か紙袋を抱えていたりする。それが毎日続けば、一冊一冊に記入している時間があるのなら、読んでしまった方が早いのだ。読書家は「読む度に感じるところが違うから、色を使って線を引くと良い」という。出来ることならば僕もそういう習慣を付けたいが、多分無理だろう。
 というのも、多分本を読む姿勢が違うのだ。基本的に1度読んだ本は繰り返して読むことは無い。開くことがあるとすれば、その中の文章を引用したい時である。「あの文章、正確には何だっけ?」と感じない様な本はそのまま段ボール行きである。つまりある意味マスターベーションなのだ。大学までは1度読み始めた本は必ず最後まで読み続けた。最近は読みたい本と、読まなければいけない本があるので、読みたいなと思った本の中で、「あれ、ダメだな」と思ったものは途中で放り投げる様になってしまった。これは多分あまり良くない傾向である。もう少し期待を持つべきである。
 多分読書家からすれば、「1度目に何も感じなくても、2度目には新しい発見があるかもしれない。それが自分の成長でしょう」となるだろう。僕の場合は、多分「1度目に読んで何も感じなければ、次も感じない。人に恋をする様なものだ」と答えるかもしれない。とすると、やっぱりマスターベーションみたいなものなのだ。気づいた頃には本に囲まれて寝ていたから、活字中毒の様なものなのだ。