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最近は写真日記。

北の零年:行定勲

 15日、公開当日にレイトショーで観賞。GOのイメージが強い、行定監督。世界の中心で、愛をさけぶの映画版はまだ見ていないので何とも言えないが、行定勲が大作に挑むというのだから見ずには居られなかった。
 15日には地上波でも特集が組まれており、北の零年の歴史的背景や現在の静内などを知ることができた。庚午事変に関しても分かり易く説明していたので、映画を見る前に事前知識を入れておいて良かった。
 というのも、この北の零年、作中ではほとんど解説が無いので、純粋に物語を楽しもうと思っても、読み切れない個所がある。庚午事変についても詳しい説明が無いので、「何故彼らが北海道まで行かなければならないのか」が映画を見ただけでは分かり辛いだろう。そういう意味では予習が必要な映画でもある。
 この映画自体、史実を踏まえて作られているので、必要最低限の歴史知識が無いと、恐らく「吉永小百合のための映画」で終わってしまう。もちろんそういう見方もできる。スポンサーは「吉永小百合」に金を出しているのであって、作品はどうでも良いのかもしれない。行定監督が世界の中心で、愛をさけぶを撮ったのも、興行として成功しておく必要があったから、と考えると納得がいく部分もある。そうまでしてでもこの北の零年を、行定勲が撮りたかったのでは無かろうか、と思わざるを得ない。
 史実に基づいている分、作品は媚びていない。商業を意識しているとすれば吉永小百合くらいのもので、それ以外はしっかりとした映画作りをしている。日本では話題作はあっても、大作にはめったにお目にかかれない。というのも日本で大作と言われるもののほとんどが、興行的にはコケるので、この映画も数字的には散々な結果になるかもしれない。行定勲はそれを見越して作っているのだろう。彼は多分そういう作品が作りたかったに違いない。
 メインになる視点は吉永小百合である。それをただ女の物語として見るのも良い。愛でも夢でも良い。武士道でも良いし、静内の歴史として見るのも良い。説明が無い分、見ている側でいくらでも反応できる。「これだ」というテーマが全面に出ていない分、「ああ、こういう切り口でも良いんだ」といくらでも発展できる。アイヌが何故「和人」と呼ぶのか。何故維新は「薩長だけのもの」だったのか。五稜郭西南戦争岩倉具視にしても、キーワードがそこら中にちりばめられていて、嫌でも反応してしまう。かといって、それらが順序立てて説明されるわけでも、物語の核心に触れるわけでもない。日常生活をそのまま切り取った様に、ただありのままを映像にしている。だからこそ3時間もの上映時間が必要なのだろう。物語としては2時間で十分に収まる内容である。
 井筒監督が踊る大捜査線 The Movie 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!を自腹で見た時に、「こんな時代だからこそ、リストラされた人間を奮い立たせるような映画を作らなアカンやろ。何で、リストラされた人間が犯罪を犯すような映画を作っとんねん」とキレていたが、北の零年吉永小百合がその役割を担っている。何があっても弱音を吐かず、振り返らず、ましてや疑わず、日々の暮らしを大切に生き続ける姿には心を打たれるものがあるだろう。

北の零年
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