apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

無邪気の怖さ

 自分の過去を思い出すと身の毛がよだつ時がある。小学生の時が一番酷かった気がする。人の物は盗む、気に入らなければ殴り、強制的に僕と遊ぶ時間を他の子たちに作らせた。やりたい放題で、天上天下も良いところだった気がする。自分の力が薄れてくれば、物で人をつった。「やれ」と言ったら、できるまでやらせたり、一歩間違えれば人を殺すような事も、遊びとしか感じていなかった。人から注意されれば逆ギレし、呼び出されて怒られれば人の所為にし、ケンカになれば平気で頭部を殴っていた。思い出すだけで申し訳なくて、恥ずかしくて、どうして良いのかわからなくなることがある。
 人を泣かすことが快感で、泣いた顔を見ては、「あ、泣いてやんの」とか言いながら笑っていた。他人などどうでも良かったのだ。自分を守ることに必死だった。自分を保つために、いくらでも人を傷つけた。相手の都合など考えず、自分の都合に会わない人間にどれだけ嫌な思いをさせたかわからない。
 中学、高校時代でも思い出せば恥ずかしいことはキリがない。大学時代でも現在のイタリアでもそうだ。恥ずかしいことは増え続けるのだが、やはり怖さを知らない頃の行動が一番恐ろしい。無邪気だった頃に戻りたいかと問われても、僕は戻りたくはない。何も知らないことは、やはり恐ろしいことだ。何かを知れば、何かを失うのだろうが、無邪気に人を傷つけられる様な純粋さは欲しくない。今までの人生の中で、あの頃の自分が一番怖いのだ。
 先日、幼稚園から中学まで同じだった友人の母親に声をかけられた。彼女が知っている僕は正に「最低の人間」だろう。彼女の息子を傷つけた記憶があるし、当時は傷つけたとも思っていなかった。それでも彼女は僕に声をかけ、現在の息子の話しや、僕の話しを聞いてくれた。1人の人間として接してくれていた。そういう人たちに会う度に、過去の自分を恥じる。そして現在の自分が過去を繰り返していないかと、何度も自問自答するはめになるのだ。また自分の無邪気が人を傷つけない様に。無邪気に人を傷つけない様に。