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最近は写真日記。

人生の証明

 オーストラリア留学中「君は何故、将来考古学を学ぼうと思うの?」と、幾度か聞かれ、常々「うーん、簡単に言ったら、自分の人生の証明が欲しいから、かな」と答えていた。すると決まって「そうね、歴史は大切だものね。自分が何故生きているか知るのは必要だよね」と頷かれていたが、僕が言いたかった「証明」はそういう意味での証明ではなかった。id:KEN_NAITO:20050518#p1を読んでいて、当時のことを思い出した。
 「考古学をやる」と中学の卒業文集に書くまでに、様々な人生のシミュレーションが僕の頭の中にはあった。もちろん芯には考古学というものがあったのだが、自分がそれとどう関わっていくかが問題だった。父親は、ずっとやりたいことを通していた。母方の祖父は青年時代戦地に赴き、戦後は自分の生きる道を見定めて、その道を歩んでいた。そんな彼らでも社会に不満を抱き、ニュースを見れば政治に対して声を荒げたりする。特に祖父は戦争経験者ということもあり、政治に関しは過剰に反応した。
 幼かった頃、僕は祖父を恐れていて、特に食事を一緒にするなんてことは考えられなかった。食事をしていると、祖父はアルコールが入った真っ赤な顔で、「今の政治家は駄目だ!」といちいちニュースに反応する。幼かった僕には話しの内容はまるでわからなかったが、兎に角怒鳴っている祖父が恐くて仕方がなかった。
 それでも中学生に上がる頃には耐性ができていた。それ以上に「こんなところで怒鳴っていても、政治は良くならない。本当に政治を良くしようと思うのであれば、怒鳴っていないで政治家に成るべきだ。もしくは政治を真っ当に批判できるくらいの発言力をつけるべきだ」と考える様になった。それがヒントに成った。
 僕が表現したいものは何か。父親や祖父が持っていた様な社会への憤りもある。それ以上に日本の教育というものに対して憤りがあった。それが自分の属していた一番身近な社会だったのだから、そういった感情を抱くのも当然だろう。しかし祖父が怒鳴る様に、ただ「日本の教育はなってない」と言ったところで何も変わらない。何かを変えるには偉くならないといけない。そう考えた。
 「偉くなる」ということはどういうことか。勉強すれば偉くなれるとは思えなかった。学校の教師が勉強した結果であるのならば、僕はそういう人間には成りたくなかった。それに発言力を持っている人間が皆勉強ができるかと言ったら、そういうわけではない。オリンピックでワールドレコードを出せば、その世界ではオリジナルになる。歴史に名を刻み、影響力もある。芸術家であれば、芸術を以て自分を表現する。小説家であれば文章である。それぞれにワールドレコードは違うが、発言力を持っている人間は、「オリジナルの表現力がある」ということだと考えた。運動はそこそこできたが、クラスで1番には成れなかった。芸術性もないし、文章力もない。興味を持てた教科は社会、特に歴史だった。
 また学問は何のためにあるのか。何故僕らは教科書を読み、勉強するのか。5教科に別れているのは、結局の所「何か」を学び易くする為だろうと直感した。無い頭で必死に考え、その「何か」は、人類にとっての「発見・発明」だと至った。教科書に載っていることは結局のところ「過去の発見と発明」でしかないのだと気がついた。
 僕がやりたいことは、自分でも薄々わかってはいた。歴史に携わること。ただデスクワークだけでは、僕自身を生かせないと思った。学問でありながら、体を使うもの。それでいて歴史に関係するもの。そこで出会ったのがマスターキートンだった。考古学という学問の名前を教えてくれたのは漫画だった。吉村作治もメディアに露出し始めていた。そしてエトルリアの映像を目の当たりにした。考古学ならば自分を表現できると感じた。
 おまけに考古学の発見は歴史的な発見でもある。自分の名前が教科書に載る可能性もある。発見まで辿り着けなくても、学問を続け、上に昇っていけばそれなりの発言力は持てるだろう。そうすれば子供扱いされずに僕の話しを聞いてもらえる。ニュースに向かって声を荒げないですむ。世界を変えられる影響力を持てるようにもなれる。そう考えた。
 もちろん考古学、それ自体に惹かれたことが一番の要因ではある。「遺跡に魅せられた」としか言い様がない。ただそれ以外に、学問を自分の表現方法としていることから目を逸らす訳にはいかなかった。そういう意味で考古学は僕にとってただの道具でしかなかったのだ。
 自分を表現するために。自分の人生を証明するために。ただ発見をすれば良い。それは遺物、遺跡の発見だけではなく、学問としての(再)発見でも良いのだ。自分がオリジナルになれば、それが自分の生きた証になる。父親が生きる様に、やりたいことをやるのも良い。祖父の様に時代に翻弄されながらも、いじけずに生きるのも良い。ただそれだけでは「何も残らない」と感じた。家族が生きている間は良い。誰かの記憶に生きている間はまだ「残って」はいる。だけど100年後は?1000年後は?結局のところ「歴史に名を刻まれない限り」人々からその存在を忘れ去られてしまう。それならば「自分が何かを表現したい」と心底思うのであれば、できる限りそれに近づかなければ成らない。
 「考古学をやる」そう卒業文集に書いた時、もう迷いは何も無かった。「何故、考古学?」と聞かれて、自分の中では既に答えが出ているから、「自分の人生の証明」と飛躍した返答になる。当時はその文脈の説明すら面倒臭く、また「高校生の戯言だと思って馬鹿にされる」と思って、自分より年上の人間にしっかりと話すことができなかった。親に対してもである。否、親だからこそ言えなかった部分があった気がする。
 あれから10年が過ぎた。卒業文集からは12年。考古学を学び始めて8年。もちろん今では考古学と自分との距離感はかなり変化しているが、初心は今でも忘れていない。何より考古学が僕の人生の表現方法だということは、これからも変わることはないだろう。