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最近は写真日記。

イタリア語作文

 ペルージャ外国人大学に通っているころは、宿題などでイタリア語作文を出されたが、大学に通う様になってイタリア語で文章を書く機会が減った。授業中のノートは全てイタリア語で取ってはいるが、それは結局のところ他人の言葉なので作文にはほど遠い。
 ペルージャ外国人大学で行われている「日本語で学ぶイタリア語」の授業の一コマは、イタリア語作文である。大学に通い出してからも、時間があれば作文を書き、提出していたが、去年の後半から今年の3月まではあまり通えていなかった。4月以降は毎週提出しているが、添削をしているイタリア人講師から「ain_edは、最近こういう作文を書いていなかったな」と注意を受ける。
 日本人講師は「しょうがないよね。語学学校から離れて、専門の勉強ばかりしていると、何故か文法が崩れてしまう。専門の単語はどんどん増えていくのに、語学学校で学んでいた時の方が、作文はしっかり書けてたりしてね。僕もそういう経験があるよ」とフォローしてくれたが、確かに以前の様にスラスラと書けないのだ。
 例えば日本文のイタリア語訳。文章を一読すればキーポイントになる単語は全て出てくるのに、いざ書こうとすると「あれ?こういう場合って直説法で良いのか?」とか、「うん?ここは半過去か?近過去?」と手が止まってしまう。語学学校に通っていれば、自分が教室で発言した場合、文法上の謝りがあれば教師がいちいち訂正してくれる。他の外国人生徒にしてもクラスが上になれば、それなりの授業を受けているので、綺麗なイタリア語を話す。
 しかしネイティブの大学に通うと、そうはいかない。20前後の学生ばかりである。日本人でもそうだが、その年齢で「綺麗な言葉遣い」を気にする学生はいても、「自分の話す言葉の文法に気を遣う」学生はいないだろう。おまけにペルージャ大学の学生は南部出身者が多く、それぞれに訛りが酷いのだ。結局講義の間くらいしか「綺麗なイタリア語」は聞けず、学生間のコミュニケーションはそれぞれの「イタリア語」で行われるので、文法などあったものではないのだ。すると僕の話すイタリア語の文法が間違っていようが、間違っていまいが、結局のところ伝えようとしている単語さえ合っていれば、伝わるのだ。そういう環境にいつの間にか慣れてしまって、いざ文法に気をつけて作文を書こうと思うと、以前の様に書けなくなっている自分に気がついたのである。
 インプットはしているものの、アウトプットが上手くいかない。英語の経験から考えると、アウトプットの量が圧倒的に足りていない。オーストラリア留学中は毎日作文を書かされた。日記から小論文、ビジネスレターまで、それぞれのフォーマットを憶えさせられて、基本はコピー&ペーストで、自分の言葉をつけ足していく。そうしている間に、無意識に手が動く様になり、文法など気にしなくてもフォーマットに合わせて文章が書けるようになったのだった。ただ今となってはこの英語のアウトプットも怠っているので、以前の様にはいかない。
 ペルージャ外国人大学に通っている時期も、それに近いことはやっていた。1日1つ、何か文章をコピーしては和訳し、それを作文の中に取り入れたり。それにしてもたったの1年で、ここまで口語と文語の差が開くものなのか。実際のところ、口語に関しては既に諦めが見えているが、結局のところ文語を疎かにしていた結果なのかもしれない。