apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

僕はバスケ部で彼女は:青春てこんな感じ?:結

 僕は高校に戻ったけれど、彼女はもう専門学校生になっていた。バスケ部にも復帰した。それでも体育館はやっぱり落ち着く場所で、渡り廊下から下をみるとチア部は練習していて、元後輩で、今は同級生の子たちが「覗いたって、もう先輩いないよ、フルーティー」って手を振ってくれた。何だか取り残された様な気分になって、「センチメンタルジャーニー?」って呟いて、でも自分で決めたことだしなって浮上して、相変わらず部活終わりにはサンドイッチ屋さんに寄っては買い食いしていた。おばさんはしっかり憶えていて、「ああ、やっと帰ってきたんだね。彼女待ってたよ。卒業しちゃって寂しいでしょ?いつも一緒にいたしねぇ」なんて心配されたけれど、「今でも一緒ですから」って惚気たフリして笑った。
 結局20歳過ぎまで、計5年間僕らはつき合ったけれど、終わりは呆気なかった。「もう好きじゃないかも」って彼女に言ったら、「そうくると思った」って初めてエッチした時と同じ反応して、「私たちは多分あの5ヶ月間が全てだったんだよ」と彼女が僕の代わりに言ってくれた。それから2、3年の間は時々連絡があったけれど、今では何をしているかわからない。
 今でもバスケ部のOB会に行けば、当時の様に渡り廊下で当時の部活仲間と一緒に、麦茶片手に涼む。もう10歳以上も年が離れたチア部の子たちが、あの時と変わらず練習していたりするけれど、当然の様にその中に彼女はいなくて、チア部からすれば僕はもうフルーティーでも無くて、高校生じゃない私服の「ただの人」でしかない。それでも体育館は今でも変わらずに存在していて、壁に掛けられた大きな時計はやっぱりちょっと遅れがちで、水銀灯の光は優しくて心地よい。当時の様に大きな声を出しても、下で意識を傾けてくれる子はいなくて、それでもあの頃みたいに「しゅーごうー!!!」とか叫んでみたりするのだ。
 僕がバスケを続ける限り、世界中何処にいても、ボールがゴールのネットを通る音を聞く度に思い出す体育館は、あの高校の体育館で、いつになっても成長しない自分に苦笑する。ただ最近では体力が衰えて、あの頃みたいにシュートは入らない。年を取れば忘れていくってのは、体力とシュート確率とゴールネットの音の関係性にあるんじゃないかなんて考えてしまうのは、やっぱり年の所為なのか。いつかシュートが打てなくなって、あの音が聞こえなくなったら、今みたいにはあの体育館を思い出せなくなったりするんだろうか。
 あの頃僕が世界の全てだと思っていたものは、実際は体育館の様なものなのかもしれない。形ばかり大きくて、中味は空っぽで。だけどその空っぽに意味があって、内と外は繋がっていて、でもそれだけじゃ存在できなくて。疑似的に隔離された空間とピカピカに磨かれたフロアとボール、そしてバッシュがあって初めて、僕らは思いっきり走り回ることができた。メイビー僕らの恋もきっとそういうものだったのだろう。そうして僕はやっと、あの時彼女が言った「期限付きの恋愛」の意味を知ったのだった。