apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

高橋秀実:からくり民主主義

 リクルートのフリーペーパー、R25で「結論はまた来週」というコラムを連載している高橋秀実。僕の記憶が正しければ、記念すべき第1回目の書き出しはこんな感じだった。「朝起きたら、泣いていた。ベストセラーになった世界の中心で、愛をさけぶの書き出しである。これじゃいかんだろう。男はやはり、朝起きたら、勃っていた、でなければ」
 それ以来高橋秀実を読むためにR25を集めていたが、彼の著書「からくり民主主義」が色々なところで引用されているのを後々知った。本屋に行っては、何気なく探していたのだが、結局見つからず仕舞いでイタリアに。結局にゃんにゃんチャーくんの後輩であるTAMAがイタリアに来る時に、わざわざ持ってきてもらったのである。
 巻末解説は村上春樹が書いており、その中で高橋秀実の文章を以下の様に表現していた。

1. とてもよく調査をする。
2. 正当な弱りかたをする(せざるを得ない)。
3. それをできるだけ親切な文章にする。

 1の「調査」において高橋秀実は、「入念に準備をしているうちに月日が流れ、現場に到着する頃にはそのニュースが忘れ去られていたりします。私の場合、年単位で出遅れることもあるので仕方ありません」と言っている。また「準備とは、そのテーマについてこれまで書かれた本や記事を読むことで始まります。ひと通り読んでから、専門家などに話しを聞いたりしているうちにテーマの輪郭がわかってきます」と現場に出る前に、まず二次資料に当たるのが彼の方法の様だ。その資料内でとりあえず的を絞り、現場に出る。しかし「ところが現地に出向くと即座に、私はわからなくな」るのだそうだ。というのも現地住民の話題は、いざテーマを持ち出すと、彼らはシラけてしまう。かといって「辛いですね」と言えば「そうですね」としか返しようが無く、そこで会話が終わってしまうのである。事前に絞ったテーマは、「わかるのに、そこにはテーマがないかのよう」なのだ。結局彼は世間話や噂話、現地の人間関係など、「現地の人々の話したいとき、話したいことに馴染む」しかないのである。
 2の「弱りかた」、これこそが高橋秀美の持ち味だろう。ライターとして編集から要求されるのは、「めりはりのある結論のついた読み物」であり、「立場や視点がはっきりとした文章が比較的高く評価される」と村上春樹が解説している。そして「だからこそ高橋さんは真剣に困惑するのである。『そんなわかりやすい結論がでないんです』というのが、彼の抱えているいちばんの問題」なのである。
 R25でコラムの名前が何故「結論はまた来週」なのか何となくわかった。村上春樹が上手く表現している。「僕らはその結論のなさを彼としっかりと共有することができる。それが共有されているという確かな実感がそこにある。僕らは一章ごとに彼と一緒に弱ったり、困ったりすることができる。〜みんなで輪になって座って、熱いコーヒーを飲みながら、『いや、困りました』とか、『ちょっと弱りました』とか、『なんか結論、出ませんねぇ』とか言いながら、頭をかいたり、ひげをしごいたり、腕組みをしたりすること。〜そういうのは僕らの生活にとって、すごく大事なこと」なのだ。また「物書きの役目は(それがフィクションであれ、ノンフィクションであれ原則的に)単一の結論を伝えることではなく、情景の総体を伝えることにあ」り、高橋秀実はそれを「親切な文章」で伝えようとする人なのである。
 本書のタイトル「からくり民主主義」を高橋秀実はこう説明している。「『からくり民主主義』とは『からくり民主ー主義』です。『からくりー民主主義』ではありません。〜『民』は『みんな』です。『みんな』が主になるのが、『民主』〜一人ひとりとは別に『みんな』をつくって、それを主役にするのです。テレビ局や新聞社が躍起になって世論調査をするのも、『みんな』をつくるためです。『世論』『国民感情』『国民の声』などと呼ばれるもので、こうして主役を固定し、自分たちはその『代弁』という形で発言するのです。要するに、『みんな言っている』『みんな思っている』と後ろ盾を用意する」そうして作り上げられたものが「からくり民主」なのである。そして本書は「このからくり民主主義の下、つまり『みんな』の脇役になった日本人を描いたもの」なのである。
 本文の文章は相変わらず痛快である。例えば富士青木ケ原樹海の自殺者について書かれた第9章では、

聞いていると、何やらゴミ問題のようである。そもそも自殺とは肉体という粗大生ゴミを、ビルの下や線路の上など、ところ構わず投げ捨てることである。当人がゴミそのものなので、あとで注意しても返事すらしないので始末が悪い。
生ゴミはマナーを守って出す。それが社会の常識である。

 と流石である。つまらない倫理観や正義感も、センチメンリズムもない。死体をゴミ扱いである。もちろんそれは彼の根底から出てきたものでは無く、「調査」をして、現地に赴き、話しを聞いた後に出てきたものである。つまり現地の人間にとっては生ゴミと対して変わらないということである。その最も足る会話が

「樹海の中では、あまりキョロキョロしてはいけません」
ーなぜですか?
「見つけちゃうから」
ー見つけたら、どうすればいいんでしょう。
「見なかったことにすればいいんです」

 である。何故なら死体を発見すれば警察に通報し、事情聴取をし1日時間を潰すことになる。そこら辺にぶら下がっているのだから、1つ1つ「見ていたら」どれだけ時間があっても足りないのである。
 高橋秀美はフリーのライター、ジャーナリストであるけれど、彼の様な視点が日本のジャーナリズムに必要だろう。「みんな」を作り上げ、「かわいそう」などと感情に訴える様なニュースよりは、「具体的にどこがかわいそうなんですか?」と聞いてしまう高橋秀美の「わからなさ」が僕にはわかり易いのである。つまり「からくり民主ー主義」に依って作られた、「『みんな』の気持ち」は高橋秀美にしても、一人ひとりの個人にしても、ましてや僕にも「わらからない」のである。本書では、ある意味タブーとされていることにも「平等」に描写している。何故なら高橋秀美にはその「タブー」の感覚が具体的にわからないからだろう。すると結果的にやはり結論は出ないのである。
 「現地で私がわからなくなったのは、テーマが生み出すプレーンな『みんな』と一人ひとりが語る『みんな』がズレているからです。ズレとズレが織物のように重なって、糸口が見つからないのが『からくり』たるゆえん」なのである。

4794211368からくり民主主義
高橋 秀実

草思社 2002-06
売り上げランキング : 3,904
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools