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最近は写真日記。

新本格魔法少女りすか&きみとぼくの壊れた世界:西尾維新

 ネコソギラジカルを読もうと思い、上・中と揃えたものの、下の出る気配が無いので、結局放置。以前購入して積んであった、りすかときみとぼくを読んだ。相変わらずキャラクターを作り上げるのは得意そうなのだが、文章がワンパターン化している気がする。出てくる言葉が被っているというか、他の作品で使った言葉をそのまま流用していたり。そういう意味では西尾維新の作品は全て繋がっていて、シリーズが変わっても作品に入っていきやすい部分はある。
 りすかにしてもきみとぼくにしても、西尾維新が描いている「純愛」が垣間見えた気がした。たとえばそれは戯言シリーズでのいーちゃんと友みたいな、他人には介入されない関係。例えば上下運動ができない友がいーちゃんのために階段を上る、自分の身体がどうなってもその対象のために行動を起こす。戯言シリーズではその2人の関係は怪しいものになっているが、りすかときみとぼくでは、そういうシーンがしっかりと描かれている。
 面白いのは、どの作品にしてもそういう関係にあるお互いを恋愛関係とは呼んでいない点である。これは多分西尾維新がそういう人間なのだと思うけれど、友達とか彼女とか恋人とか結婚とか男とか女とか、そういうカテゴライズに対してある意味批判的なのだろう。例えば「〜は友達だから」と言われても、「友達だから」という言葉が理由になってしまうようなことは何もない。もちろん「あんたは私の彼氏なんだから」と言われても、「彼氏なんだから」どういう義務と責任があるのかは、言葉にしてもらわないとわからないのである。
 これは僕にはわかりやすい。「彼女をつくりたい」時期はあっても、好きな人は好きな人であって、やっぱり「彼女」にはならない。例えばアインは雌で犬だけれど、僕にとってはアインであって、犬とか雌とかペットとか雑種とか関係なくアインなのである。要するにそんなものは記号でしかないんだ、と言えば良いのだけれど、もちろんその記号に意味があることはわかっているので、アインという記号の意味はしっかりと他人に伝えないとコミュニケーションが進まない。
 要するに西尾維新が恋人とか友達とかで簡単に済ませたくない理由はそこにあるのだろう。彼氏・彼女と言ってしまえるが、実際のところ彼氏・彼女という言葉は各々定義が違う。新しい恋人ができて、今まで通り彼氏に接していても、いきなりその彼氏から「彼女なんだから、そのくらいは当たり前だ」と言われても、何が当たり前で、何が当たり前じゃないのかは、それぞれの抱いている彼氏・彼女の定義が違い過ぎて話が見えない。おまけに「当たり前だ」と思っている方は、見えてないことにも気がついていないので、そういう場合はコミュニケーションが困難である。お互いがそれぞれ「彼氏だから」「彼女だから」と「わかったつもり」で過ごしていれば、コミュニケーションはそれぞれの立ち位置を失って衝突することになるのである*1
 どちらかというと、たったそれだけを描くために西尾維新は今までの作品を書いてきている感じはするが、エンタテインメントはしっかりとやっているので、それはそれで十分ではある。とりあえずは戯言シリーズをどの様に終わらせるかが気にかかるが、戯言シリーズ以降の西尾維新に期待したい。

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*1:もちろん衝突しないで終わる場合もある