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最近は写真日記。

スポレート観光(フォリーニョも): Spoleto & Foligno

 行こう行こうと思いつつまるで行けなかったスポレート。電車でペルージャからローマに出る時に、必ず通り見る街である。ペルージャから約1時間の距離。ただ電車の繋ぎが悪く、朝早く出掛けて、午後早めに帰ってくるか、時間を気にせず、料金を3倍近く払ってユーロスターを使うか迷い所ではあった。噂で聞いていたのは「デカイ橋」があるということだけだったので、そこまで見るものはないだろうと、結局朝早く出て、午後には帰ってくるプランを選んだ。
 今回一緒に観光したのはドMのIと、ペルージャ貴族のY、それと彼女と僕の4人である。行きの電車は7時50分。途中のフォリーニョで乗り換えなのだが、そこでの待ち時間が1時間ほどあったので、朝食がてら、フォリーニョの市街地を散歩した。ペルージャの街並みとは違い、駅から徒歩で市街地に辿り着ける。おまけに平坦地で、歩きやすい土地である。ペルージャ市でありながら、テルニに近い街だった。ドゥオモ横の役所の壁にはS.P.Q.Fの文字があった。
 目的地であるスポレートはフォリーニョから2駅。電車はいつもの様に10分程度遅れて、結局着いたのは10時20分頃。スポレート駅前でバスに乗り市街地に向かう。駅から市街地までは1kmほどだというが、勝手がわからないのでバスを用いた。インフォメーションのある広場で下り、街の地図を貰い、何故かそのまま考古学博物館へ。スポレートの考古学博物館は、ローマ時代の劇場に隣接しており、展示品は少ないながらも、共和制期から帝政期にかけてのラテン碑文が、時代順に並べられていた。kojiさんが居れば色々と話しが聞けたのだが、碑文とパネルをにらめっこして何とか意味を追っては見たが、理解できたかは疑わしい。
 そこからはお目当ての橋へ。元々は13世紀の水道橋らしいが、噂で聞いていた以上に谷は深く、橋も巨大な物であった。この橋はもちろん渡れるのだが、通路の片側の壁は人間の胸の高さよりも低く、景色が良い分、高所恐怖症には辛いものがあるだろう。ドMのIと僕は2人で「何で高い所に来るとチンコのあたりがそわそわするんだろう」なんて話しをしながら誤魔化しながら橋を渡ったのであった。橋を渡った先には何もなく、手ごろの石を見つけては石器を作ってみたりした。
 橋以外ではドゥオモを見学。その後、ピザを食べ、ローマ時代の住居を見学。ポンペイで見られるようなアトリウムやモザイクを見て、市街地を後にする。マップに載っていたローマ時代の円形劇場を探しに行くも、外壁しか見学できず、おまけに雨も降り始めたので、僕らはペルージャへ帰ることにした。駅に着いたのは14時ちょっと過ぎ。時刻表を見ればペルージャに行く電車が14時27分に来る。僕は余裕をかまして、駅構内を散歩していたら、予定より早くプラットフォームに電車が入ってきて、僕らは慌てて飛び乗った。
 しかし、何かがおかしい。車内から電光掲示板を見ても、僕らが乗るはずだった電車はまだ「到着」していないのだ。しかも予定より早く扉は閉まり、電車は出発してしまった。明らかに乗る電車を間違えていた。日本で電車を間違えてもそこまでタイムロスはない。しかしイタリアで、特にウンブリア州内で電車を間違えた場合、1時間で済めば幸運、2時間で済めばまだ良い方なのである。隣の乗客に聞くと「スペインジンダカラ、ワカリマセン」と言われる。ローマ方面なのか、アンコーナ方面なのかさえわからなかったが、「さて、どうする?」なんて呑ん気に景色を見ている間に、フォリーニョに着いていた。しかもアナウンスを聞けば、アッシジペルージャ方面の電車だと言う。どうやら予定より30分近く電車が遅れているらしく、幸運にも僕らはペルージャ行きの電車に乗れたのだった。
 ペルージャに到着したのは、15時過ぎ。電光掲示板を見ると、他の電車は1時間近く遅れていた。ただペルージャの天候は最悪で、着いた時は雨だったが、夜になって雪になり、いつにも増して寒い夜なのであった。まったく運が良い日だったのか、悪い日だったのかわからない一日だった。