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最近は写真日記。

就職活動とオプティミズム

 大学時代、僕は就職活動をしなかった。就職セミナーにも、強制で出席させられた1回だけで、それ以降は就職センターにさえ行った事がない。大学3年になるとセミナーが始まり、4年目になると話題は就職活動ばかりだったが、僕にはどうでも良い話だった。どこどこが大手とか、会社の規模がどうとか、内定がどうのとか、そんな話をふられても、「へぇ〜」としか返せなかった。それどころか、履歴書の書き方とか、挨拶の仕方とか、実際のところ僕は、就職活動の「いろは」などまるで知らない。
 日本に帰って来て、職探しをしたが、エントリーした次の日には面接して、すぐに正社員採用の話にいった。外資系を売りにしていたが、家から遠いという理由で断った。それから他にも話はもらったが、結局「家から一番近いので」という理由で、今いる職場に決めた。僕は今までアルバイトや契約社員の経験はあっても、正社員の経験はない。しかも新卒でもなければ、特記できる様な資格もない。普通免許と英検2級だけだ。三流大学出で、しかも文系。年令も28歳で、未経験可の仕事を探すのは結構辛いものがあるだろう。
 就職活動を規定しているのは、結局のところ日本の勤労哲学であり、またそれと相関関係にある一種の強迫観念なのだろう。就職セミナーに通い出すと、学生のフレームは瞬く間にリフォームされていく。「大学出たら、とりあえずバイトでもしながらやりたいこと探すよ」とか「院に進もうか迷う」とかいっていた学生が一気に「4大出て、就職しない人間は、やっぱり負け犬だ」とか言い始める。必死で就職活動した結果が、アルバイトと大して変わらない様な仕事内容だったり、それでも「内定=勝ち組」をアピールしたりで、手のつけようがない。「アルバイトと大して変わらない様な仕事」というのは、もちろん言葉のあやで、アルバイト<正社員というわけではなく、あくまでも「正社員」にこだわり、「内定」を得るがために、何が何でも、つまりは自分の適正に関係なく、常時人手不足の様な企業でも就職活動をする。
 就職して働いてさえいれば、「自分は1人前なんだ」という妄想と、「働いているから人生は保証されている」という幻想。年功序列とか終身雇用とかは相変わらず存在している。それは企業側にではなく、どちらかと言えば、被雇用者側の中に多分に見出せるだろう。これらは裏を返せば、「働いていないものは1人前ではない」「働いていないものは人生は保証されない」と捉えることができる。
 また役職が高い方が「何よりも偉いんだ」という意識には辟易する。一つの組織には様々な雇用形態がある。アルバイト、パート、契約社員派遣社員、正社員。最近は正社員数を抑えて、派遣社員をメインに活用する企業が多いだろうか。また本社、支社、支店等によっても、それぞれに雇用形態が違うだろう。理由があって、アルバイトで入っているにも関わらず、「本当は正社員が良いんだろう?だから後々、正社員で雇ってあげるから、もうちょっと働いてくれよ」的な権限を振り回す人間には何度もお目にかかった。残念ながら僕はアルバイトという待遇が、その時の自分の状況に合っているからアルバイトを選んでいるわけであって、正社員至上主義で口説かれれば口説かれる程、そういう会社に正社員で雇用を受けたくなくなる。今回は派遣社員を選んだが、研修中に1度、配属先で2度、正社員の話が出た。現場の人間は良いのだが、上の人間の考え方がまず合わないので正社員になることはないだろうし、派遣社員の給料と仕事量で、妥協点は落ち着いている。
 僕は「仕事」に関して、特に職種を選ばないし、雇用形態も何でも良い。労働と給与のギブアンドテイクさえ納得できれば何でも良いのだ。「ウェブ進化論」の中で、「日本人にはオプティミズムが欠けており、また一度所属したコミュニティを抜けることが一般的ではないため、転職に関して難色を示しがちだ」という様な記述があったが、「新卒採用」とか「年令制限」とか「学歴」とか「正社員」とかが跋扈していては、確かに楽観的に仕事を選べない。
 僕は別に仕事に関して楽観的なわけでもないし、人生に関しても後ろ向きな部分が多々あるが、「安定」の質が違うがために、オプティミストととらわれ、「苦労とかなさそうね」とか良く言われるが、id:KEN_NAITOでも違う側面から触れているが、「苦労」を苦労にするか、「苦労」とも思わないかは、結局のところ、自分次第なのではないだろうか。「正社員で入れば、それなりに責任が問われるし、経験も増える」というが、それでは正社員以外の被雇用者は責任感も軽ければ、経験もあまり増えないのだろうか。業務としては正社員よりも、他の従業員の方が良かったりするだろうし、これは適性でしかないので、雇用条件は関係ないだろう。また責任感にしても、雇用条件よりは人間性に由来するもので、正社員のフォローを他の従業員がすることも多いのではなかろうか。決定的な違いは、結局のところ、情報の差である。自社の状況についてはやはり社員の方が優先して情報が入り、そこから他の従業員に伝達される。自社どころか業務に関しても、社員にのみ把握させて、断片的に他の従業員に伝達される場合もあるが、こういう企業はこの先生き残るのだろうか。
 話が逸れたが、「正社員」であるということは、つまりはコミュニティへの結びつきが、他の雇用形態よりも強いことを表しているのではないか。もちろん派遣社員にしても、契約社員にしても、ほとんど正社員と同等、もしくはそれ以上の業務をこなしてはいるが、コミュニティへの依存度が低いだろう。ここでの依存度とは、例えば正社員になれば研修があり、イベントがあり、仲間意識が構築されていく。仕事とプライベートのコミュニティの境目が希薄になるところまでいくだろう。しかし派遣社員にしても、契約社員にしても、そこに壁がある。雇用期間が様々で、他人と知り合っても、そこまで他人に介入していかない。これはやはり日本独特の風土なのかもしれないが、「気を遣って」他人の詮索をしないことが多いからなのかもしれない。パート、アルバイトはまた別のものになるが、企業を中心にしてのコミュニティの結びつきは正社員ほどには強くはならないだろう。
 大胆に、正社員はオフ会コミュニティ型、派遣・契約社員はブログ型、パート、アルバイトはSNS型と、そのコミュニティのあり方を当てはめることができるかもしれない。