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最近は写真日記。

「他界されました」

 「先日の日曜日、母が他界されました」という留守電を仕事帰りに聞いた。留守電を残したのは高校時代の部活仲間。彼がキャプテン(ゲームキャプテン)で、僕は副キャプテン(チームキャプテン)だった。彼の母親が癌に侵されていることを知ったのは去年の夏だった。「もう助からないらしいんだ。余命1年だと言われたから」いつもと変わらない口調で、彼は僕に電話をかけてきた。僕は自分の結婚を伝えようと思っていたのだが、話題が話題なだけに、少し躊躇してしまった。しかしそんなことはお構いなしに、彼は「で、最近どうなの?」と話題を切り替えた。僕は結婚することを告げると、彼は何よりも驚いた様に祝福の言葉を述べ、彼自信もつきあっている彼女と結婚するつもりでいることを告白した。
 彼はバスケ部のエースだった。ポジションはPG。身長は高くはないが、ボールハンドリングが上手く、ドリブル、パス、シュートとテクニックを誰よりも持っていた。また何よりもコート内での彼の存在感は凄まじく、高校入学と同時に彼は試合に出ていたが、先輩などお構いなしに怒鳴り付け、呼び捨てにし、動きが悪い選手には怒りを露にした。彼の日常の学生生活を知る人間からは想像もつかないことだっただろう。
 彼の双児の弟は当時ジャニーズJr.で、テレビや雑誌にも露出し人気があった。もちろん彼自信も学校ではそのルックスや雰囲気からもてはやされていたが、周囲の騒ぎなど気にしないかの様に、休憩時間は漫画を読むか昼寝に費やし、口数も少なく、どちらかといえば自ら存在感を消しているかの様に振る舞っていた。
 大学卒業後、彼はアパレル業界に入った。元々実家で婦人服店を営んでおり、また地元が原宿だっただけに流行には敏感だった。そのため当時はまだ新規参入扱いされ敬遠されていた外資系低価格ブランドに飛び込んだが、現在では日本各地に店舗展開し、また世界でも日本以上に人気が出ている。OB会があると、彼と僕は「非社会人」として認知され、「いい加減高校生じゃないんだから、そういう格好はやめろよ」とまで言われる始末。彼から言わせると、「未だにおやじ化してないのは、俺とお前くらいだ」ということらしいが、彼の仕事場や体系、顔だち雰囲気を鑑みると、ギャル男的な髪型、服装であっても許されるのだろう。今では年令の割りには高いポストに就いている様で、相変わらず現場ではその力量を如何なく発揮している様子だ。
 あれから1年と少し。新しい携帯を購入して何度か彼に連絡を試みたが、忙しいのか電話に応えることは無かった。そして先日のこと、彼からの着信があり、留守電が残されていたのだった。さすがに留守電の彼の声からは落胆の色が伺えた。
 「1年以上入院しましたが、先日他界されました」と、彼は何度か「他界」という言葉を用いた。日曜日に亡くなり、僕に留守電を残したのが火曜日。留守電の最後は「仲の良いお前にはとりあえず伝えたかったから」といつもの口調に戻っていた。
 僕は帰宅後、戸惑いながらも彼に電話をかけてみた。「日曜日、とすれば、お通夜か告別式で忙しいかもしれない。それに昨日の今日で、落ち着いて話すことは無理か」そんな予想とは裏腹に、数回のコールで彼は「おう」といつもの様に電話に応えた。「留守電、聞いたよ」と切り出すと、「そうか、まぁ、そういうことだから」と、この1年間の経過を話してくれた。「最後は一緒に居られたのか?」と聞くと、「ああ、最後は手を握ってたからね」と数秒沈黙し、「俺たちも、そんな年になったんだな」と苦笑混じりに彼は続けた。「今の医学ではそこまでなんだろう」他人事の様に言う彼は、まるで試合後に「負けたのは、俺たちが下手糞だからだ。練習量の差とかじゃなくて、弱いし、下手糞なんだよ」と先輩の引退試合だろうが何だろうがお構い無しに、センチメンタリズムなど知らないかの様な口ぶりで批判する彼の態度を思い出させた。
 「とりあえず、近い内に彼女とお邪魔するよ。お前の子供も見たいし」最後には笑い話までして、僕は電話を切った。高校時代から感じていた彼の芯の強さ、それを強弱で表現することに対して疑念はあるが、それを目の当たりにした様な出来事だった。同学年のバスケ部の親類、得に母親が亡くなったのはこれで2回目だが、その度に当事者たちは自分達の家族を新たに、つまり結婚をし、築き始めた。2人ともバスケ部からは異端児扱いされてはいたが、そのスキルやテクニックでチームを引っ張っていた。学生生活においても群れることもなく、迎合することもなく、いつでもその主体性を主張していた。そして親の死を目の当たりにしても、今でも相変わらず、内的変化や影響が外的に多大な影響を与えることなく、彼らはその主体性を貫いている。ブレがない、とはそういうことなのかと思い知らせれた。