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最近は写真日記。

ジュニアの絵

 職場の画家に書いて貰った。彼女は学生時代に絵を学んでいたわけでも、Macを使っていたわけでもなく、仕事を始めてから全てを覚えたという。仕事を始めてすぐにMdNに作品を投稿し、賞を貰っている。「え?あれって出せば誰でももらえるんじゃないの?」と本人は言っていたが、たった何ヶ月かで絵やMacを覚えただけで、賞を取れてしまうのは才能以外の何ものでもないだろう。ちなみに僕より年下である。
 今まで本当に絵が上手いと思ったのはこれで3人目である。1人目は「絵画部なんてレベルが低くて入れません」と言い、その後GAINAXに入り、現在では新世代を代表するアニメーターとして活躍している。次はイタリアで出会ったSimon。「色弱だから、色の使い方とかは、あんまりなんだよ」と本人は良く言っていたが、ダークなものを描かせたらピカイチだろう。何よりも物を見るセンスが卓越していると思う。そして今回の彼女。僕の知人で絵本作家がおり(世界的なコンペで賞をとっている)、その人の描く作品に近いのだが、今回の彼女は何よりも独創性に富んでいる。
 例えばガイナに入った彼の持ち味は模写と言える。そこに描かれているものを正確にコピーする。Simonの場合、才能だけに頼らず理論がある。独創性に偏らず、技術と理論をしっかり学んでいる分、作品に幅がある。絵の見せ方を知っている、と表現すれば良いだろうか。そして今回の彼女はスキルやテクニックよりも、創造性が先に立つ。「描きたい」という思いが強いのだ。しかし彼女は単純に「自分の世界を描く」ということに執着しない。対象を描くために調べ尽くす。図書館に通い、存在するものであれば対象を手に入れ、デッサンを繰り返す。以前書いた、蝉がそれだ。「蝉が欲しい。蝉の中がどうなっているか知りたいから」そうして彼女は蝉を食べたりもした。
 そういう意味では学問のインプット・アウトプットに方法は似ている。決定的な差異があるとすれば、それは飛躍だ。独創性に富んでいると前述したが、徹底的な分析を基礎にしながらそれに捕われず、新たなものを創造していく。それも原形を留めないくらいに。それは正に無から有を生み出す作業であり、既存の世界の中で、自分の世界を現実化していく作業に他成らない。つまりその為の分析であり、そのためのインプットなのだ。
 「報酬は?」と聞くと「カルシュー(105円)で」と言われた。額に入れて飾ろうと思う。